2008-06-18

喫茶店で隣の客が「ネットワーク」で「クラスタ」云々と言っていたら、計算機の話だと思うでしょ?

ところがこれが水の話だったのでした。水商売

ねず-なき【鼠鳴き】〔名〕ネズミの鳴き声に似た声を出すこと。また、その声。[例]「雀の子の、――するに踊り来る」<枕草子・うつくしきもの> [訳](かわいらしいものは)雀の子が、(人が)ネズミの鳴き真似をすると跳ねながら来るの

『ポケットプログレッシブ全訳古語例解辞典』小学館

おまえわざとやってるだろう。(前科

たぶん、この「の」って「もの」という(「この鉛筆はぼくだ」というのと同じ)意味で使ってるんでしょうね。まあ野暮ったいことはいいっこなしか。

この辞典は用例が枕草子にやたら偏っていて、枕草子を読みながら語義を引いていると、読んでいるそのものずばりの箇所が用例として訳付きで挙げられてるのに出くわすことが多い(あんまり嬉しくはない)。他の古語辞典だと源氏物語の用例が多いのがふつうなんですが。編者の専門が枕草子なんでしょうかね。

いもうとせうと

清少納言は生涯で三度、結婚と離別を繰り返しているのですが、最初の夫が橘則光(たちばなののりみつ)という人です。で、少納言はこの人とは離婚後もけっこう仲がよかったらしく、分かれた後もお互いに「いもうと(妹)」「せうと(兄)」などと呼び合っていたらしい(八二段)。しかもこの恥ずかしいあだ名は公知だったらしく、則光は宮中の他の殿上人からも(役職名ではなくて)、せうと、せうと、と呼ばれていたそうです。

ふーん、と思うでしょ。で、僕はこれを読んだときに、昔 Amazon.co.jp がおすすめしてきたやつのことを思い出してひらめいたのです。「あっ、これってそれで思いついたな!」と。

もちろん清少納言の明るい性格だけでもこういうマンガを作る下地はあるといえるんでしょうが、もし僕が当代の若手漫画家だったら、このエピソードを聞いた瞬間に「これはいける!」と思ったはず。ちなみに読んでないのでおもしろいかどうかは知りません。

漢文

古典を読んでると、やはり漢文の知識が必要になってくる。弱った。自慢じゃないけど僕は漢字漢文がほんと苦手なのよね。西洋文明至上主義者だったからね、ははは。清少納言は漢籍が得意でうらやましいなあ、とか思うわけですが、ちょっとくらいは漢文も知らないといけないような気がしてくる。とりあえず原田種成『漢文のすゝめ』という本を手にしてみましたが、この先生はすごいすね。

漢文一筋の人生を送って八十歳を超えた今、漢文を軽視する傾向が強い現状を見て日本の学術文化および日本語の将来について心配することが多い。

日本人は日本語で考える。だから語彙が貧弱であると、思考力も貧困になる。日本語の語彙を豊かにするには『源氏物語』や『枕草子』の類からは得られない(原文ママ)。漢文こそ日本語の語彙の宝庫なのである。

原田種成『漢文のすゝめ』新潮選書、1992年、p. 223

主張はよくある話なのでどうでもいいですが、これがおもしろいのは国文学者のコンテキストだと漢語と外来語こそが日本語を不自由なものにしてきたという認識に持っていきそうな話なのに(じっさいにそんな単純なこという人はいないと思いますが)、まったく反対の解釈から、しかも同じ結論を導き出しているというとこです。

日本人の仲人は何時ごろから始まったか、『源氏物語』には仲人など全くなく、中には強姦が四件ほどある。

同書、p. 227

なにこの言及の仕方。

しかしここまでの堅物だとかえって信頼感が沸いてきます。この人は『大漢和辞典』の執筆に携わったたいへん偉い人なのです。

と、偉い人に感化されてひとつ白居易のやつでも読むかと思ったのですが、どうもしっくりこない。平安時代の人たちはほんとにこれをいいと思ったのかな。人気あったんですよね。なんかとりつく島がないというかなんというか。鑑賞の仕方がわからん。ムードだけじゃん? とか言うと、怒られるのかな。

オレオレ箴言

141 われわれはよく、自分は少しも退屈しないと自慢する。そしてすっかりつけ上がっているから、自分が一座をうんざりさせる人間であることを認めようとはしないのである。

二宮フサ訳『ラ・ロシュフコー箴言集』岩波文庫

あ、おれおれ、おれだけど!

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2008-06-12

赤ちゃんは「じじ」「ばば」から「じいじ」「ばあば」というHLの構造は作り出すが、「じじい」「ばばあ」というLHの構造は作らない。「じじい」「ばばあ」は子供心を失った大人の言葉であり、また大人の世界でも非常に悪いニュアンスを持っている。

窪薗晴夫『アクセントの法則』、p. 51、2006年、岩波書店

なんか笑った。

本居宣長のいう「徒」について 完結編

あー、うやむやにしておくのは気持ち悪かったので、『詞の玉緒』借りてきた。ざっと流し読み。すると、「徒とは こそ などいふ辭のなきを今かりにかくいふ也」とある。この説明や、あげられている例を見る限り、「徒」というのはやはり係助詞を含まずに用言で終わる文、ということのようです。

「徒」の例としてあげられている歌(ちなみに宣長はこういう歌の用例のことを「證歌(証歌)」と呼んでいる)。

おちたきつ瀧のみなかみ年つもり老にけらしな || 黒きすぢな (古今十七)

あなこひ || 今も見てしが山がつのかきほに咲るやまと撫子 (古今十四)

かきくらす心のやみにまどひにき || 夢うつゝとは世人さだめよ (古今十三)

『詞の玉緒』は分量のほとんどが証歌すなわち用例の提示にあてられている。過去に用例がある、というのをひじょうに重視していたことがわかります。「全集」の解題によれば、半紙を二つ折りにして一面に33行ずつ、古典文学作品から歌だけをカタカナにして書き抜いて作った自筆資料が(冊子の形で残っているものだけで12冊、さらに綴じてないものが100枚以上)残っている。写真を見る限り、係助詞別に整理していたようです。前も書いたような気がしますが、ああ、こういう人にパソコンがあったらねえ。

ただし、宣長は用言の語尾の終わりかたに注目しているだけで、彼の中にはまだ「品詞」という概念が確立されてないという点には注意しなければいけない。だから、動詞の活用形とそれに続く助動詞とを厳密に区別できていない。解題に指摘されているように、「流るる」という語と「頼まるる」という句を「る・るる・るれ」の例としてひとくくりに扱っている。今日では「流るる」は動詞「流る」の連体形、「頼まるる」は、動詞「頼む」の未然形+助動詞「る」の連体形、と理解されるものです。そして、どうも「ぞ」「や」などの係り結びの結びと、名詞の前に「続く形」(「流るる河」の「流るる」など)が同じもの、つまり連体形という活用形、であるとはわかっていなかったんじゃないかという印象も受ける。

古文の構文

品詞という概念においては、同時代の国文学者、富士谷成章(ふじたになりあきら)のほうが先んじていた、と。『あゆひ抄』。読んでませんが。

しかし、現在の文法が品詞に重きを置きすぎて、いわゆる「文型」をまったく提示できていないのにたいして、宣長の記述には文型の研究といってもいいようなものの萌芽が見られるようにも思える。英語の5文型とか、フランス語の6文型といったようなものは、語学をする者にとってはひじょうに役に立つものですが、日本語には古文にも現代文にもそういうものが、まだない(よね!?)。宣長は文中で句をまたぐ「係り」と「結び」に注目していたので、必然的に文全体に目がいったのではないかと思う。

たとえば「は」の解説では、体言で結ぶ「は」(「笠うめの花笠」)や、「…を…は…」の類例(「山のかすみあはれと見よ」)などを集めて考察しています。「ましかば」の後には「まし」で終わる句が来るとか、入れ子になった係り結びは間に「と」が入っているとか(要は引用の「と」です)、文の構造についての観察は多い。

宣長に限らず、国学での係り結びの研究はそのまま続いていたらある種の文型論までいってたんじゃないかという予感もするのです。

それではなぜそうならなかったのか、というと、明治時代に西洋の文法学を盲目的に取り込んで、それまでの研究を断絶させてしまったのが一因としてあると思われる。

『国語学史』という本に、明治時代の文法論の本の目次が紹介されてるんですが、これがなかなかすごいです。

明治維新以降、西洋文典の日本語への適用による日本文法論が現れたが、中でも詳しいものが田中義廉(よしかど)の『小学日本文典』(明治八年刊)である。文法論全体の構成は、[七品詞の名目][名詞、名詞の性、名詞の種類、集合名詞、名詞の格][形容詞、形容詞の詞尾、形容詞の名詞、数形容詞][代名詞、人代名詞、疑問代名詞、復帰代名詞、指示代名詞、不定代名詞][動詞、動詞の種類、動詞の活用、分詞、助動詞、動詞の法、動詞の時限、配合の例、動詞の定音、集合動詞、転成動詞][副詞、副詞の品類、転成の副詞][接続詞、第一種の接続詞、第二種の接続詞、接続詞の品類][習煉]である。品詞中心であり、西洋文典の構成にならったものと言える。品詞についての論の内容も、「名詞の格」「名詞の性」「集合名詞」「分詞」「復帰代名詞」など、いかにも西洋文典の直訳的である。日本人による研究で重視された「係りと結び」については全く論じられていない。

馬渕和夫・出雲朝子『国語学史 日本人の言語研究の歴史』、pp. 94-95、1999年、笠間書院

「名詞の性」なんて章が日本語についての本でそもそも立てられるのかと、これには驚愕した。いったい何が書いてあるんだろう。西欧コンプレックスここに極まれりです。しかしローマ字で国際化とかサマータイムとか言ってる連中がいる限り、いまだわれわれもこれを笑い飛ばすことはできませんぜ。

僕は高校時代の古典の授業はおもしろいと思った記憶がまったくないんですが、ひとつにはそのあまりにも場当たり的な読み進め方に学問としての魅力を感じなかったというのが理由としてあると思う。時代も伊勢物語やったかと思えば奥の細道やってみたりと、あっちこっちに飛ぶ。そこまで時代が隔たっていれば、文法的にはまるで違ってくるというのに、たんに「古い言葉は今とは違う」という程度の印象しか抱かせないまま辞書を引かせて、品詞分解ばっかりさせている。「文法が違う」というのを「単語が違う」というのと同列に扱っているのはあんまりだと、今なら思う。そして構文的なことは反語も係り結びもぜんぶ「強調」で片付ける。これはよくないよ。国語の先生は文法が嫌いだから? しかし、文法を理解せずに鑑賞をすることはできませんよね。けっきょくのところは、日本語というよりは、たんに教養を教えたかっただけだったんでしょう。

本文を読む前に、解読のガイドラインとしてその時代ごとの特徴的な構文を解説するなどしてくれていれば、少しは古典の授業もインテリジェントな営みに思えたような気がする。なんか、印象が作業的だったんですよね。

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2008-06-05

池田亀鑑氏は1956年に亡くなっているので、彼の執筆・校訂した著作物(いま自分が読んでいる岩波文庫版『枕草子』など)はいまやパブリックドメインに属してるんですね。

さて先週の助詞の話、分量が多くなるからと削ったせいで肝心のところが抜けてしまったかもしれないので補足。もうみんな読み飛ばしてるだろうけどさ。

格助詞「が」の話の補足

まず、格助詞「が」の用法の経緯について。本の引き写しを知ったふうに書くのも恥ずかしいかと思い書かなかったのですが、例だけじゃ不親切だった。詳しくは大野晋『係り結びの研究』の最終章か岩波古語辞典の「基本助詞解説」を読んでください。「基本助詞解説」での説明を要約すると、

  • 「が」はもともと連体助詞だった。現代語の「の」のようなもの。つまり体言と体言を結びつける。「君が代」「雁が音」など(万葉集)。
  • 「我が思ふ妹」(万葉集)というような表現もある。ここでは「が」は名詞「妹」にかかっているのだが、「思ふ」の動作主であるようにも見える。ここに後になって主格を表す助詞としての用法の生じる余地がある。
  • また、用言(動詞・形容詞)の連用形・連体形は「……すること・もの」を表す(現代語でも「走り」「人殺し」といって走行する行為や殺人を犯す者を表すように)ので、文中では体言の資格を持つ。「君が歩くに」「清き河瀬を見るがさやけさ」(万葉集)など。
  • 室町時代に入ると係り結びの法則が崩壊してきて、連体形が終止形を浸食しはじめる。(現代語の用言の終止形はすべて連体形と同じになっている。)そうなると、「が+連体形」は「が+終止形」とますます区別しがたくなってくる。こうして格助詞としての「が」の用法が確立する。
  • 「水が飲みたい」などの一見動作の対象を表すように見える用法は、希望を表す助動詞「たい」(「たし」)が形容詞と同じ活用をすることから、「飲みたい」という複合形容詞の連用形に対して「が」を用いることになったものである。「平家の由来が聞きたいとて」(ロドリゲス大文典)など。

と、いうことのようです。「……ない」も付けると形容詞活用になりますね。用例を探すのサボりますけど。でもほんとは用例を出すのは大切ですよ。その話もいつか書きたいな。

それで「林檎が売っている」を考えるわけですが、じつは先週は「売っている」と「売ってる」をあんまり区別してなかったんですよね。なんとなく「林檎が売ってる」のほうにはあんまり違和感を感じない。なぜか、を説明したい。しかし現代語の文法の本はぜんぜん読んでないし、これ以上は黙ってることにしよ。だれか考えてください。いま適当に思いついたのは、「売ってる」は一文節になっているのに対し、「売っている」は「売って」+「いる」という二文節のように考えられるので、「が」のかかる部分が「売る」と「いる」とに違ってくるから、とか。でも自信ないな。用例の裏打ちもないし。

古文の助詞の勘所(がつかめない話)

「助詞がいまいちぴんとこない」と書いておいて、どこがぴんとこないかを書いてなかった。

たとえば枕草子にある、藤原隆家が立派な扇の骨を手に入れて定子に自慢する、一〇二段。「もうだれもぜったい見たことないような骨なのよ」と得意気な隆家に、清少納言が「さてはくらげの骨でございましょう」と言ったという有名な話ですが、ここで隆家は最初になんと言うか。

中納言殿まゐり給ひて、御扇たてまつらせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。

この「隆家こそいみじき骨は得て侍れ」の「骨」というところ。ちゃんとした現代語訳は見てないんですが、これは現代語だと「隆家はすばらしい(扇の)骨を得ましたぞ」というような意味のはずです。その現代語の感覚だと、ここで「骨は」となってるのがよくわからない。「骨を」ならわかるけど。あるいは「隆家(は)いみじき骨(を)こそ得て侍れ」にでもなるんじゃないかという気がする。この答えはまだよくわからない。

あ。いま書きながら思いつきましたが、これ、定子に扇をプレゼントした時に言ってるんですよね。それで定子が「すてきな扇をどうもありがとう」とかなんとか言ったと(書いてないけど)。それで「いやいや、扇、この自分の方こそいいものを手に入れたんですよ」と言った、と、そういうことか? そういう文脈でそういう言葉なら、「隆家は〜」とか「〜骨を(こそ)〜」とかじゃだめで、原文にあるような言い方をするしかない。そういうことなのか。ははは、書いてたらわかってしまったぞ。(でもまだそれでいいのか自信はない。)

追記 などと浮かれてたら、さっそく別解を思いついた。あとでここに追記する予定。

夕飯食べ終わったので追記。→

もうひとつの可能性。「こそ」+已然形の係り結びは、平安時代だと単純な強調と見ておけばいい場合が多いのですが、その起源となった逆説の接続として使われていると考えたほうがいい場合もけっこうあります。その可能性を考えてみます。「この隆家、すばらしい骨得たのだけれども、紙を張って差し上げようとすると並大抵のを張るわけにはいかないから、探しているのです」と訳す。つまり「骨手に入れたんですが、まだ差し上げられません」ということで「は」が使われているという考え。このほうが最初の説よりも「それを張らせて参らせむとするに」の部分とのつながりがよい(「参らす」が「差し上げる」の意味でよければ)。

うーん、どうでしょう。書いてない文脈を頭で補ったりしてないという点では、前の説よりもいいのかも。どっちなのか決められないあたりが知識不足を露呈してますな。

この説の難点は、この話についてそういうふうに(逆接として)訳すような言いっぷりを自分はいままで見たことも聞いたこともない、ということです。やー、珍説を言ってしまった? それに、そういう意味なら「隆家いみじき骨こそは〜」となっているべきなんじゃないかという気もする。こういうところで直感がびびっと働かないのが「外国人だ」ってことですよ。

しかし、このどちらの説もとんだ見当違いで、なおかつ「隆家こそいみじき骨は得て侍れ」はただ「隆家はすばらしい骨を手に入れました」という文の単純な強調にすぎず、「骨は」の「は」は不思議でもなんでもないというのであれば、それは自分にとっては現代語の「は」からその用法を推測できる範囲を逸脱しているし、それについての解説なり用例なりをきちんとした形で示してもらえない限りは納得できない。この段は高校の教材なんかでも使われてると思うけど、そこではどう説明されているんだろう。

でもまずちゃんとした現代語訳を見てみないとなんとも言えないか。そういうわけでこの件は保留。こんど見てこよう。

←追記ここまで。

さらに追記。

「隆家 扇」でググるといくつか興味深いことを書いているページがありますね。あんまりウェブには頼りたくないんですが。

さらに追記ここまで。

まあこのへんがいまの自分の古文力の限界ということです。古文力というか、読解力の問題か。しかし最初から現代語訳を見ている人はここまで考え込んだりはしまい。

ほかにもこういうぴんとこない助詞がいっぱいあるんです、という話をするはずだったんですが、たんによく読めてないだけなのかもしれない気がしてきた。がんばろう。

補足を書いただけでもうこんな分量になってしまった……。

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2008-05-30

どうしていまは平安時代じゃないのかな。

日本語入力

変換精度が落ちた落ちたと言われているのは、MS-IME の 2007 のことですよね。それは使ってないのでどんなもんかは分かりませんが、しかし単文節変換みたいな使い方をして変換効率がどうのとか言われても困るでしょ、と思うような記事を読んだ。

僕の場合は使い始めたワープロの頃から連文節変換が実現してたので、もっぱら、何文節かをまとめて入れては変換、という入力の仕方をしている。一文まるごと入れると長いことが多いので、だいたいそれを二三回に分けて入れているような気がする。句読点単位、というよりは細かいけど。

一文まるごと入れると長いことが多いので、/だいたいそれを二三回に分けて/入れているような気がする。

こんな感じ。ところが ATOK 2008 はこういう使い方でけっこうぎょっとするような候補を出してきますよ。

入力の話ついでに思い出したことを。

ここを読んでるような人には、なんとなくタイピングの速い猛者が多いようにお察ししますが、かくいう自分も遅い方だとは思ってなかったのです。ところが、セガの「タイピング・オブ・ザ・デッド」の体験版で遊ぶと、1分の壁がなかなか超えられない。正確にいうと、一回だけ59秒台を出せたのですが、あとはいくらがんばっても1分00秒を超えてしまう。自分の場合は御簾ミスが多いのがまずいのかも。(古文のやり過ぎで ATOK がへんな学習をしている。)みんなどう? 暇な人はちょっとやってみていただければ。余裕で超えられた、という人はぜひプレイを見てみたい。こういうの録画できるツールがあるといいんですが。

いま何か月かぶりにやってみたところ、なまってるかと思ったら1分01秒台だった。うーん、またがんばったらいけるかな。

追記 自信をなくすことはないみたいで一安心。平均がどんなもんなのかわかんなかったのでぜんぜんダメなのかと思っちゃいました。

中国

ナショナルジオグラフィック誌の前月号(ぼやぼやしてたら次の号が出てしまった)で、中国の特集をやってたのですが、そこに書いてあったことでなるほどと思ったことが。いわく、中国は政治的動乱期が終わってようやく市民の力で動き出すようになった、そして始まった爆発的な成長の過程で資源の不足や貧富の差の拡大や環境問題も起きてくる。ところがそういう中でも政府は政治的活動は厳しく取り締まっている。するとどうなるか。

だが、こうした問題はいずれも一般市民が解決するにはあまりにスケールが大きく、全体像の把握さえ難しい。政府は依然として政治の自由を厳しく制限しているため、国民は社会的な問題を避けて通ることに慣れてしまった。

つまり、自然とそういう大きい問題には積極的に関わらないように適応していく、と。これはすごく現状を説明していると思った。それに、政府という一見個人から遠いようなものが、その個人のふるまいにどう影響を与えるのかという話としてもおもしろい。

「が」は格助詞か

ウェブでときどき見かける「林檎が売ってる」という文はアリかナシかという問題。いままであんまりまじめに考えたことありませんでしたが、古典文法についていろいろ調べていくと、結構微妙な話のように思われてくる。微妙といったのは、「この問題は難しい」ということじゃなくて、「結論を急いで間違ったことを言ってしまいがち」ということで。

参考。

  • カレーが食べたい。
  • カレーが食べた。
  • 名札に名前が書いてある。
  • 名札に名前が書いてない。
  • 名札に名前が書いてた。
  • 本が置いてある。
  • 本が置いている。
  • 本が置いてる。
  • 君が読んでる本。
  • 林檎が売っている。
  • 林檎が売ってない。
  • 林檎が売ってある。
  • 林檎が売ってる。
  • 林檎が売ってた。
  • 林檎が生っている。
  • 林檎が生ってる。
  • 林檎が生ってた。

「が」という助詞はもとは連体助詞なので、現代語でも用法にそのくせが残っているようだ。

国語辞典を見ると「が」は格助詞ということになってるけど、格助詞なら「カレーが食べたい」はおかしいということになるんじゃないですか。ところが岩波国語辞典(第四版)の例文には、「主格を表す」と書いてありながら「算数がよくできる」という例文をあげている。どうも「主格」の定義が「動作主」ではなくて「述語の前にくる資格を持つ句」とでもいうようなものになっているっぽい。版が古いのがやや気がかりですが。

Microsoft Bookshelf 3.0 所収の新明解国語辞典(第五版)の「が」の項目はこんなふう。

1 その動作・作用を行う主体や、その性質・状態を有する主体を表わす。

用例・作例
鳥―鳴く
雨―降る
私―やったのではない
試験―行われる
本―有る
桜―きれいだ
負ける―勝ち

2 可能・希望・好悪・巧拙などの対象を表わす。

用例・作例
語学―出来る
住所―分からない
金―ほしい
水―飲みたい
映画―好きだ
母―恋しい
私は水泳―得意だ

なるほど考えましたね、という感じです。これも最新版じゃないのがちょっと心配ではあるけれど。ちなみにこの辞典も「格」を「〔文法で〕その言葉が、文中で他の言葉、特に、述語に対して持つ統語的(意味的)な関係。」と定義してます。なんか格の関係と主語述語の関係を恣意的に扱っているような気が。

英語やフランス語の文で「格」と言ったときには、こういう曖昧さはない。

最近の日本語の文法がどういうことになってるのかには疎いのでなんとも言えないけど、「が」は係助詞のほうがいいんじゃないの? もっとも、いまの文法では係助詞というのはそもそもあるのかしら。新明解は「は」を「副助詞」と呼んでます。もうなんでもありですね。

しかしいまは現代語の文法にはあまり興味はない。なにがいいたいかというと、現代語の「が」が歴史的経緯からその用法にある種の偏りを残しているように、古典文法における係助詞「こそ」や「ぞ」にも、その出自からくるある種のくせが残っている。そのくせをとらえられないと、古文の微妙なニュアンスは、(外国人に現代日本語の「は」と「が」の使い分けからくるニュアンスの違いを的確に把握するのが難しいのと同様に)把握できないのではないか、と。そういう意味では、古文の前ではわれわれは外国人なのだ、ということ。

古文を読んで、「助詞がいまいちぴんとこない」という感覚を軽視してはいけないと思う。日本語の達者な外国人が「は」と「が」をうまく使いこなせてないのを見て、「ああ、やっぱり彼/彼女は生粋の日本人ではないからね」とか思うんでしょ? 「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」の助詞の使われかたが理解しがたいというのはそれほど決定的なことなわけですよ。

日本人だから古文もフィーリングでかなり読める、という人は「日本語なんて単語を並べれば通じるから簡単さ」という外国人と同じだと思う。そういう外国人は、日本人の友達はたくさんできるかもしれないが、五年経っても十年経っても「は」と「が」の使い分けに不自然さの残った話し方をするだろう。そういう態度で古文を読んでいては、けっきょくその時代の人々の考え方の本質にはいつまでたっても近づけないと思う。

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2008-05-22

そういえば自分も最近バッテリー買い換えたのでした。X60sだけど。

使い始めてから一年半での買い換え。だいたいいつもこのくらいのペース。サイクルカウントは、見たら294でした。毎回「空になるまで使い切る」のは充電池にはいいはずだと思ってましたが、8か月で15分しかもたなくなったというのは早い。僕は最近バッテリー使い切るのはあんまり意識しなくなってましたが、それでも交換直前まで1時間半以上はもってました(スリムライン・バッテリー、カタログ値3時間)。ていうか前も「半年でなくなった」とか言ってたし。「使い切るまでを毎日」がやっぱり酷なのかな。自分はそこまで酷使はしていなかった。「週に数回、一回につき1、2時間程度のバッテリー駆動」といったあたり。

本居宣長

前に書いた本居宣長の話の、係り結びにおける「徒」の説明が間違ってた模様。すんません。どうやら本居宣長の「徒」というのは「係助詞を含まずに用言で終わる文」全体についていうものらしい。『詞の玉緒』はまだ自分で直接は読んでない本なので、これ以上は言葉は継がないでおきます。また勘違い書くとまずい。しかし彼が形式的な分析に徹底していて云々という旨は変わるものではない、はず。

2008-06-12 追記『詞の玉緒』を読んで確認しました

あー、せめて江戸時代の印刷本くらいは読めるようになりたいな……。

少し知恵がついてきたあとで、勉強しはじめの頃に読んでいた本を読み直すのは、こうした覚え違いに気づくこともあって有用。前回流していたところに深いことが書かれてあったのだと気づいたりもする。

枕草子

八四段「里にまかでたるに」にはやられた。(段番号は底本によって前後します。)

はじめにおもしろおかしいエピソードを語って笑わせておきながら、するっと元夫婦の決定的な断絶を書いてみせ、取り返しのつかないままに打ち置いて終わらせる。一級の散文の技巧。さすがだ。

八七段「職の御曹司におはします頃、西の廂にて」もおもしろい。大野晋が形容詞「あいなし」の例によく出している、定子が「それはあいなし、かき棄てよ」と言ったという、雪山の話です。よもや古文を読みながらにやにやしてしまうとは。九九段「五月の御精進のほど」も好きだ。

人が枕草子を現代語訳したくなる気持ちがわかる。これだけ魅力的な散文が、ただ古典語で書かれているというだけで現代人から隔たってしまっているのはあまりにもったいないと思うんでしょう。しかも、そこに書かれているおもしろさには、現代の日本人が愛好するある種の cuteness があって、(古語の林に分け入ってその奥でようやく見つかるような)それに気づくと、千年前の著者との、時空を超えた親密な共感を味わうことができる。これは人に教えたくなるわけだ。「春はあけぼの」と「香爐峯の雪いかならん」くらいしか知られていないのは、たしかにもったいない。

自分でもそのうちいくつかやってみたくなりますね、現代語訳。

でもこのあたり(八〇段前後)は、文脈をきちんと捉えていかないと読み進めない話が多い、文法的にはハードな箇所で、源氏物語の「須磨返り」ではないけれど、「最初から読み進めていきましたがこのへんで挫折しました」という人は多そうです。

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