2010-02-01

COTEetCIEL Laptop Rucksack というのが気になるのだけど、実際に触れられるお店はないのかなあ。現物を見ないでエイヤッと買える値段じゃない。

世界でもっとも使われている wxPython ベースアプリ(?)

Dropbox のクライアントが wxPython で作られてたのって、みなさんご存じでした? 僕は昨年末まで知らなかった。それどころか、wxPython の中の人も 2009 年になってから知ったのだという。「これは責任重大だぞ」と思ったそうだが、ほとんど背筋が凍っただろうなあ。

ラッパー的なアプリやライブラリの開発者にとっていちばん作者冥利に尽きるのは、「それが使われていたとはぜんぜん気づかなかった」と言われた時なのではないかな、などということを思った。

2010-01-20

モスバーガーで、隣の家族連れの女の子が「あーあ、もう死ぬまで21世紀なんだよ……」と言っていた。その気持ち、わかるぜ。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

まだ今年はここになにも書いてなかったんだ……。ネットのお友達方面では Twitter を始めた人が多くて、それを見てるとなんとなく自分も雑談に参加している気になって、自分はなんにも発信してないというのにいろいろやりとりしあっているかのように錯覚してた。

まず今年は、とりあえず「Windows 縦書き PDF 覚え書き」というのを書きました。たいしたもんじゃないんだけど。ようは Acrobat にしとけ、みたいな結論だし。

結局 Acrobat かと判断した結果、せっかくなので前から気になっていた ScanSnap を買った(Acrobat 9 Standard がバンドルされている)。古文関連でコピーした資料とか持ち歩くことが多くなったので、そういったのがパソコンに入ってるとなんとなく安心。

2009-12-31

なう ノウ
(終助)((中世・近世語))感動を表したり人の同意を求めたりするときに用いる。ねえ。 〔狂・腰折〕「久しう見ぬうちに恐ろしい山伏におなりやったなう」[訳]しばらく会わない間にたいした山伏におなりになったねえ。
[接続]文の言い切りの形に付く。

旺文社『全訳古語辞典』第三版

実家から。

某所オフ

鍋囲んだあと、ウェンディーズ記念訪問。今までぜんぜん来てないって言ってたのに、いまハンバーガーかじってその数分後に「……ねえほんとに無くなっちゃうの? これ、どうにかなんないのかな……」と、どっぷり感傷に浸っている中村さんがおかしかった。

このことを書き残しておきたかった。

それではみなさんよいお年を。

2009-12-18

「予算を圧縮する」という言い方って、昔からあった? どうもよくわからないんだけど。

ミラチェアについて

家での話。書き物なりプログラミングなり、ずっと作業していると普通は腰やお尻が痛くなってきて、それで気分転換に掃除や洗濯でもするか、となるんだけど、ミラチェアはいくらでも集中できるので部屋が全然片付かない。この椅子は危険だ。

wxPython について

最近発見したこと。wxPython (not wxWidgets) でも、Windows 環境でのウィンドウのサブクラス化(懐かしい響き)があっさりできることがわかった。いままで IME などの日本語まわりが制御できなかったから wxPython だとかゆいところに手が届かない感じがしていま一歩に思ってたんですが、これで自分的にずいぶん評価が変わった。ほんとにちゃんと動くなら、MFC よりはずっといいよね。(が、またいつまでたっても C# を覚えないな……。)

2009-12-10

しかしフランスの人が全銀フォーマットに何の用があるんだろ? 謎だ。

なんか知らないけどタスクが山積み。これが師走か。プログラム書いたり古文読んだりストIV対戦したりしたいよー。

蕎麦屋の思い出

南阿佐ヶ谷と荻窪の間、青梅街道沿いにある(あった)とある蕎麦屋。11月いっぱいで閉店するというので、29日のお昼に食べ納めということで行ってきた。

ここはせいろがおいしいので、お重のご飯ものとセットの定食(合わせ)を頼むことが多い。合わせの親子を注文。

食べ終わってお代を払うときにお店の人とちょっと話した。「長い間お世話になりました」と先に向こうから言われてびっくりした(なぜかいつもすぐお店の人に覚えられる僕)。マンションが建つということで、立ち退きの期限が来てしまったそうだ。あとで見れば隣の八百屋もシャッターが下りていた。

終わってしまうのは残念だとか、図書館からの帰りによく寄ってたとか、蕎麦屋がどんどん無くなっていって寂しい、といったことを伝える。蕎麦屋は広い厨房が必要なので店を借りてやるのは難しい、などという話を聞く。ごちそうさまを言って去り際、店のおばさんが「また機会があったらどこかで…」と言ったのだが、これはどういう意味なんだろ。またどこかでお店をやる気があるのかな。(あるいは、僕が落ちてくる岩に潰されそうになったときに颯爽と助けにきてくれるその伏線かなにかだろうか。)

阿佐ヶ谷周辺にはおいしい蕎麦屋がいくつもあったのだが、数年ごとにぽつぽつと無くなってゆく。阿佐谷北の「庵」は広島に移ってしまった。そばもうまかったけど、ここがお昼に出してた親子丼、この親子丼は僕が今まで生きてきて食べた中でもっともうまい親子丼であった(いまでもこれを超える親子丼はない)。パールセンター(商店街)には「巴屋」という店がかつてあり、ここはにしんそばがうまかった。しかしあるときから長い休みに入ってしまい、そのまま閉店。いまはクリーニング屋になってしまった。そしてまたこんどの一件。

これに僕は、自分の生活圏が侵されているような感覚を覚える。僕が居心地いいと思う場所は世の中から排斥される運命なのだろうか。

あと新宿西口の某鰻屋も閉店だとさ。なんか寂しいな。

あー、あとなにかプログラミングのことか何かで書くことあったような。まあいいや、ひとまず。