ThinkPadのバッテリーが急にへたりだした。1時間くらいしかもちません。買い換えないと、ThinkPadバッテリー。
今回は更新履歴反応特集。たくさん書いてたら日付がずれてしまいました。
C言語の入門書
- C言語の入門書 – 更新履歴 – Final β Laboratory
- http://www.finalbeta.jp/update_log/2004_06.html#log20040626_1
中村さんが使われたCの入門書として、『入門ソフトウェアシリーズ C言語』を紹介していただきました。Amazon.co.jpでの評価は満点です。目も通していないのに「こんな本があるよ」と無責任に書名を列挙するわけにもいかず困っていました。ありがとうございます。
ただしこの本、内容に間違いがあると新・闘わないプログラマで批判されています。いずれもTX-Cには関わらないような部分(ANSI C準拠と書いてあるのに書き方がANSI Cじゃないとか)ですが、これをどう受け取るかが問題ですね。
ここを読むとメタメタですが(笑)、多かれ少なかれ、Cの入門書はどれもそんなものではなかろうかという気もします。僕は「入門書に書いてある嘘や手抜きを指摘できるようになったらCがわかった証拠」と考えているので、それ(嘘や手抜き)も含めてC入門書の機能と思うことにしています。何冊か読んだほうがいいというのも、そういう発想からきています。
そういえば、VCの掲示板でもCの入門書の話が出たことがあったはず。あとで検索してみよう。
マクロ師
「マクロ師」とう呼称はWZローカルではなさそうですね。起源はVZっぽいですが……って、言いたいことはそれだけか(苦笑)。ちなみに私自身はマクロ師という言葉は(「老師」や「教師」などの「master」の意味ではなく)「手品師」や「漁師」と同様専門の技術を職業とする者の意味で使っており、それ以上の意味や価値判断、例えば感謝の念などは込めていません。そうでないと自称するのは羞ずかしいですし(笑)。……って、与太話だから気にしないでください。
じつはマクロ師という呼称については、2年くらい前にメールで中村さんとやりとりしたことがあるんですよね(余談でですが)。そのときも中村さんは上記と同じことを言われてました。僕も同じようなことをいっていた思います。マクロ入門のあのくだりを書いている時、もちろんその時のやりとりのことも念頭にありました(だからここは指摘されるかな、とも思っていました)。
にもかかわらず、なぜわざわざ「感謝の念」などという言葉を入れたのかというと、それはその、いってみればアジテーションというやつでして(笑)。それでちょっとでもマクロ学習者のモチベーションが上がるようなら(「マクロを書いた人は感謝もされるのか!」)、という姑息な意図があったのです。ほんとはマクロ師という語も入れないで書くことができるわけですが、最近死語になりかけてるのでわざと盛り込んでみました。
どうしようかな。読みようによっては、「俺って感謝されるべきだぜ!(←誰)」というニュアンスにとられるかもしれないかな。感謝云々はもう少し表現を変えるか、あるいは取ってしまうかもしれません。
男女平等の観点から「マクロ師」の呼称に統一することとなりました、ってのはどうだろう。
音楽CD著作権
ひっぱってごめんなさい。
- 「著作権の考え方」読了しました – 更新履歴 – Final β Laboratory
- http://www.finalbeta.jp/update_log/2004_06.html#log20040620_1
えー、知らなかったこと、勉強になったことはたくさんあったのですが、とりあえず音楽CDに限って言えば、この本の内容を真に受けるなら、
「CCCD導入やむなし」
という結論にならざるを得ないのですが。
複製防止技術の導入そのものに反対する人もいますが、「権利者の保護が必要であるということは理解できるものの、そのやりかたとしてCCCDは最悪」という意見も多いようですから、そこは区別して考えてほしいです。音質の問題もそうですし、「プレーヤーで再生できる保障なし」でメディアが売られる一方で「メディアを再生できる保障なし」でプレーヤーが売られることになっている、というアホくささもあります。
そういえば、以前Webのどこかで、CCCDをして「いやがらせの親戚だ」というようなことをいっていたのを読んだことがありますが、たしかにそんな感じです。
もひとつ。
ただ、「著作権の考え方」を読む限りでは、この抜け道は放置されたまま、その前段階(コピーさせない)で対応する流れになるようですね。今は過度期ということなのでしょうが、自己利益のために文化庁を動かすことに熱心(これ自体はよいことでも悪いことでもありません)な音楽業界が、ここだけ見逃しているのは少し不思議。
「抜け道を放置」というか、「国が特定の業種のためにわざわざ税金使って取り締まり活動なんかしないよ、そこは自助努力で」ってことですね(なんかアメリカではそれをやろうかという雰囲気ですが)。
それはさておき、「文化庁に働きかけること」について。文化庁に意見を述べて対策をうながすこと自体はいいんです。問題はその先です。
『著作権の考え方』には、著作権の「法律ルール」作りに至るまでのプロセスとして、「関係者間協議」と「情報公開」による合意形成を促すことについて述べられています (p.130)。
具体的には、各関係団体や各省庁からそれぞれ法改正に関する「希望」を出してもらい、それに「反対」する団体等との間で、それぞれ合意形成に向けた「協議」を進めらもらっている。
この前後にも繰り返し述べられていることは、著作権の問題は対立するのが常という類の問題であるから、推進・反対の双方の立場から意見を聞いて法律を作る必要があるということです。
しかし、CD輸入権創設(還流防止措置)については、その協議の段階で、消費者側の利益を代表する組織・団体は、なんと文化庁から参加を拒否されていました。また、参考とされた統計資料等は、すべて推進側であるレコード会社とその関連団体によって作成されたものでした。しかも、それらの数字・算定方法は意図的にねじまげられた解釈の集大成といったようなものでした(これらについてのストレスのたまるやりとりは国会審議のビデオライブラリで見ることができます)。
あの本には、文化庁がマトモでない場合については書かれていません。紹介した時に、文化庁がすばらしく見えすぎるのは問題かも、といったようなことを書いたのは、そういう意味でした。問題は、単にレコード業界が強欲だから問題だというだけではなかった、と。
5.01C
最近の掲示板の話題をまだきっちり追いかけきれてないので、下のほうにちょこっとだけ書いておこうっと。
5.01Cに上げたからというわけではないんだろうけど、先日文書の設定やMAILのパスワードがとびました。ほかの方の報告では聞いていたけど、自分がこの手の被害にあったのはたぶん初めてです。
最近掲示板ではアセンブラニーモニックなど飛び交っていて、そうした報告が根本的な解決につながっているといいのだけれど、一方でその不安定さが根の深いものだったというような雰囲気も漂いはじめています。根が深くても直るのならべつにいいのですが、もしこうしたことがらについて「(ときどき不安定なのは)仕様とさせてください」というリアクションをとられた時にどうするかは問題です。
そうなったらマクロ入門など書いている場合ではありません。