「とぞほんに。」まで読んだ
〔一〇七〕 ゆくすゑはるかなるもの 半臂の緒ひねりはじむる。陸奥國へ行く人の、逢坂越ゆる程。産れたるちごの大人になる程。大般若の讀經、ひとりしてはじめたる。
難しいところがあったり若干忙しかったりで思ったより時間がかかったけど、ようやく『枕草子』を読み終えた。去年の11月頃から読み始めたので、およそ9か月かかったことになる。
ほとんどつねに(古語辞典とともに)持ち歩いていたので、小口のところなどすっかり薄黒くなっている。なにせ予備知識ほぼゼロからはじめたものだから、本文に出てくるほとんどすべての単語について辞書を引いたと言ってもよく、書き込みのないページもほとんどない。不明点に「?」印を付けてそのままのところも多いので、それらについては追々気が向いた時に調べていこうかと思ってます。いまやこの文庫本は自分なりの注釈書として捨てられないものになってしまった。
そして読み終わったその日に、『紫式部日記』を買ってきた。これは薄いからすぐ読み終わるよ、きっと。
玉あられ
『玉あられ』は本居宣長が、古文の初学者向けに書いた心得書のような冊子です。読解というよりは、作歌や擬古文をものす人を対象にしてますが、近世以降の人間が間違えやすいところを(ちくちくと)的確に指摘しているので、現代人でも読むと役に立つ。適当に気になったところを引用。
句点がなくて読点だけで、ものすごく読みにくいけど、もとがそうなのよ。文中の“「”は原文では庵点(歌記号)というものになってます。まあ使い方がほぼ鉤括弧なのでこれで。「某なる者」とか「いと」などの節には、なるほどねえ、と唸らされるものがある。
歌の部
し
やすめ詞のしもじ、おきざまあしきは、いと聞ぐるしき物也、ちかき世の歌に、「道しある世、などおほくよむ、これら「道しあればといふときは、しもじ優(イウ)なるを、下を「あるといふところにおきては、こちなく聞ゆるなり、餘もこれになずらへてわきまふべし、すべてかやうのこと、古への歌をよく考へて使ふべき也、
とと受る上の格
「花咲きぬ と といひて、「咲ぬる と とはいはず、「郭公聞つ と といひて、「聞つる と とはいはず、
てもじたらぬ語
又文には、かならずてもじをいくつも重ねていふべきことも多きを、その重なるをいとひて、略(ハブ)くこと、まだしき人の文におほし、そは中々にひがごとなり、古き物語などを見べし、必おくべき所には、いくつ重なりてもいとはす、重ねておけるをや、
詞に三つのいひざまある事
又文に、たとへば、古人のかける書、いへる説などの事をいふに、今その書その説をとらへて、其事につきていはむには、「云々(シカシカ)かける「云々(シカシカ)いへるといふべし、又そのかきたりし昔いひたりし昔の事をいふには、「云々(シカシカ)かきし、「云々(シカシカ)いひしといふべし、たとへば古今集序をとらへて、其事をいはんには、「此序は延喜の御代に貫之のかける也といふべし、又そのむかしの事をいはむには、「延喜の御代に貫之の此序かきし時、或は「かきたりし時などいふべし、然るを近世人は、すべてこれらのけぢめなく、「古今集の序は貫之のかきし文なりなどやうにいふはたがへり、
なほ
なほは、俗言に、まだ或はそれでも或はやッはり、などいふにあたれり、然るを「いよ/\といふ意につかふは、後のこと也、
物から
此詞は、古今集夏「郭公ながなく里のあまたあればなほうとまれぬ思ふものから、此下句を、俗言にいへば、「思ひはすれども、それでもうとまれる、又、「思ひながらも、やッはりうと/\しく思はれる、などいふ意也、(中略)然るを今ノ世の人は、いかに心得たるにか、「思ふからといふべき所を、「思ふものからといひ、「あらぬ故にといふべき所を、「あらぬ物からといふたぐひいとおほきは、たゞからといふと、同じ意と思ひ誤れるなめり、たゞからと物からとは、おほかたうらうへのたがひあるをや、そも/\此詞は、歌にも物語の詞などにも、常におほく見えて、其意まぎるべくもあらぬ詞なるに、今ノ世には、歌をも文をもよくよみかくと思ひおごれる人も、多くひがことあるは、いと/\かたはらいたきわざなりかし、
やらぬ
たとへば、「雪の消やらぬといふは、春になりて猶寒きに、雪もはやくきえよかしと思へ共、つれなくきえぬ意、「花の咲やらぬといふは、早くさけかしとまてども、さくことのおそき意、「道を行やらぬといふは、はやくゆかむといそげども、思ふがごとえゆかぬやうの意にて、やらぬは皆かくのごとし、然るを近世ノ人は、これらの類をもたゞ雪のきえぬこと、花のさかぬこと、道をゆかぬこととのみ心得たるにや、或は花はまだちらであるを、「ちりやらぬといひ、「月のまだいらぬを、「入やらでなどよむ類多きは、ひがごと也、さては花を早くちれかしと願ひ、月をとく入れかしと願ふ意になるをや、
文の部
某なる者
すべて人の名をいひ出るには、或は、「其(ソノ)國に其(ナニ)といふ人あり云々、或は「むかし某といひし者の云々、などあるべきを、近きころの人の文には、「某なる人有リ云々、「某なる者の云々 などかく、此なるといふ詞、いみしき誤也、是も漢文の近年の訓點に、「有リ二某ナル者一と附ケたるを、見ならひて、書はじめたるなめり、漢文もふるき訓點には、トイフを讀付(ヨミツケ)て、「有リ二某トイフ者一とよめる、これぞ正しきよみざまなるを、近年の人、なまさかしらに、しひて言ずくなによまむとて、ナルモノとは附ケたるなれど、然いひては聞えぬこと也、そも漢文はともかくもあれ、御國の文にさへ、さるひがことをまじふべきことかは、なるは、もとにあるのつゞまりたる詞なる故に、古への文には、あるは「中将なる人、「式部丞なる者、あるは「京なる人、「つくしなる者など、官又地ノ名などにこそ、なるとはいひつれ、そは「中将の官にてある人、又、「京に居る人、という意なればぞかし、されば人の名に、「在原ノ業平なる人「紀貫之なる者、などいへる例はさらになし、さいひては、「業平にある人、「貫之にある者、といふ意なるを、さてはなるといふこと、何のよしぞや、いと/\をかし、さしもさかしだつ近年の人、こればかりの事にだに心のつかで、いとみだりなるこそ、かへす/゛\かたはらいたけれ、
あづま むさし
今の世の人、江戸にゆくことを、或は「あづまにまかりける、或は「むさしの國にくだり給ふ、などかくはわろし、こは江戸といふ名を書クを、俗なるやうに思ひてなめれど、地ノ名なれば、なでふことかはあらむ、まさしく江戸をさしていふことには、たゞ江戸とかくこそよろしけれ、
とみに
とみにといふは、俗言に「きふに「早速にといふ意、とみの事は、「きふな事といふこと也、然れ共つかひやうのある詞にて、たとへば俗語に「きふには來(コ)ぬ「早速には出來ぬといふことを、「とみにも來(コ)ぬ、「とみにもいでこず、などはいへども、「早速に來(キ)た「早速に出來たといふことを、とみに來(キ)つ、とみに出來(キ)つ、などつかひたることなし、此わきまへ有べき也、今の人は此わきまへなく、みだりにつかふめり、
いと
「いと寒し、「いとあつし、などいふいとは、つかひやうのある詞也、たとへば「いと戀し「いとかなしなどいふはよろし、然るを同じ詞ながらそれを、「いと戀る「いとかなしむ、といひてはわろき也、「戀る「かなしむといふときは、いたく いみしく などいふ也、
時代のふりのたがひ
今の人の文は、時代のわきまへなくして、中昔のふりなる文に、奈良以前の詞も、をり/\まじり、又ふるきふりなる文に、むげに近き世の詞もまじりなどして、かの鳴聲ぬえに似たりとかいひて、むかし有けむけだもののこゝちするぞ多かる、
出典「本居宣長全集」第五巻、筑摩書房、1970年。
「地名なんだから江戸でよい」とか、おもしろいよね。
繰り返しの「くの字記号」は(横書きなら「への字記号」か?)Unicode にはあるんだけど、フォントが横書きに対応してないみたいなので、好きじゃないものの仕方なく「/\」「「/゛\」を使った。
どうでもいいけど宣長は18世紀の人間なので、しゃべってた言葉はずっと現代の日本語に近いはず。なのに著作はどれもこんな調子なんだから、会ったらきっとめんどくさそうな人物だったにちがいない。