tenki.jp がなんかポータルっぽくなってる。勘弁してよ。
予測。国産テキストエディタで、1 タブ 1 プロセスで動いて安定性を謳うのが出る!(確信なし。)
乗り換え先はxyzzy
これがあの見米さんの文体なの? なんだかずいぶん丸くなっているような気が。
5.0 のベータテストの時、僕らは見米さんにまるで怨恨でもあるかのごとき言いぶりで不具合報告や要望を叩きつけてきたけど、6.0 の初期の「身内レビュー」の段階では、その見米さんが山口さんに同じようなことを片っ端から報告していたというのはなんだかおもしろい。結局、見米氏もあの時は「中の人」として守るべきものがあったということなのだろうか。当時議論した問題のうちのいくつかでは、見米氏はただ「代弁」をしていただけなのかもしれない。だとしたらちょっと申し訳ないことしたとも思う。
じつをいうと、当時は「中の人」である見米氏を説得できれば、氏のセンスで WZ になんらかの改善が反映されるものとも思ってた(設定ダイアログとか)。でもこの見米さんの書き方から察するに、やっぱりそういう裁量は山口氏次第だったのね。僕が見米さんに由来しているとばかり思い込んでいた VC の「頑なさ」のいくらかは、あるいは山口さんに由来していたものだったのかもしれない。
(もっとも、個人的には、当時の見米さんの対応でいまだに疑問に感じている部分はありますよ。)
山口さんが何を考えているのかは、僕はもうわからないです。WZ MAIL とか作り出した頃は「手を広げると大変だ」とは思いつつも、作ろうとしてるのがどうあるべきものなのかという、そのビジョンは理解できたんだけど。6.0 の最初のプレビュー版を見たとき、じつは僕はその様相にうっすらと狂気めいたものすら感じた。WZ は、テッド・ネルソンのハイパーテキスト構想や、水野晴郎のシベリア超特急シリーズのような、厚い敬意を払われつつも生暖かい目で見守られるような、氏の孤高のライフワークになってしまうんじゃないかと思った(で、リリースのたびにニュースになったりスラッシュドットに出たりだけはする)。これは杞憂であるといいんだけど。
あるいは、もう Windows の普通の UI をとか言わないで、そういうのをぜんぶ山口氏の思うままにさせておくと、最終的にできあがったときに(Emacs みたいな)超絶アプリケーションになっているのかもしれない。
なんだかんだで 4.0 も 5.0 もそれなりの形にはなったのだから、6.0 もそれと同じくらいのものにはなるのかもしれない。そうなったら、2ch の人たちに感謝すべきですね。それともべつにベータテストじゃないから感謝しない?
自分を説得することの難しさ
枕草子のある章段のある文が修辞疑問文、つまり反語表現かどうかを、ここ数日ずっと考え続けている。もう考えすぎて頭がおかしくなりそうだ。「新日本古典文学大系」の注釈では、そこは反語ということになっている。しかし……。
反語かどうかで文意がひっくり返るわけで、どうも放っておくのが気持ち悪い。
うう、頭痛い。めまいもしてきた。
ストリートファイターIV
行くゲームセンターになかなか倒せないケン使いの人がいる。七、八回に一回くらいは勝つこともあるのだけど、ちょっと気を抜くとボコボコにされる。向こうの人はなんとも思ってないだろうけど、ひそかにライバル視して挑んでいる。ていうか会社帰りだと対戦台のメンツがほぼ固定してるとかいう罠。
ケンの倒し方と、古文の反語表現、それが最近の脳内二大思考潮流です。