2007-08-10

雑談。

これを書きながら、はっきりと自覚したのです。スマートフォンが、スマートフォントとかのたまう方々が、好きでないのだと。これはスマートフォンを礼賛する連中が、ハンドヘルドは時代遅れだとよく考えもせずに罵っていたことに起因しているのだと思う。

スマートフォンについて

かつて Palm が隆盛だった頃にその広告を見てなるほどと感心したことがあって、それはかれらがハンドヘルド(この言葉ももう死語か)をあくまで時間の節約になるデバイスとして売っているということでした。たくさんの連絡先から目的の電話番号を一瞬で探せますとか、スケジュールをすばやく確認できますとか。だから、Palm の広告の多くが、「Palm を使っているところ」じゃなくて、「使い終わったところ」や「仕事が片付いたところ」の映像を使っていました。

このことはすごく印象に残ってて、それ以来ガジェットの広告を目にしたときに、それを批評する自分なりのひとつの柱になってしまった。極論にしていうと、つまり「夢中になって使っているイメージ」を広告に使うデジタル製品はオモチャだということです。例外はゲームで、これはもちろん夢中になっているところを使ってもよろしい。

Palm の標準のアプリケーションも、とにかく時間を無駄にしないようにできていた。予定やメモを追加する時にはわざわざ「新規作成」をタップしたりする必要はない、アプリでいきなり文字を書き始めれば、それが自動的に新規の予定なりメモなりとして追加される(そして人類の月面着陸同様、もはやいまどきの若造に言っても信じてもらえないんだろうけど、Palm は手で書くよりも速くスタイラスで入力できたのじゃよ)。そういうショートカットが Palmware の真髄でした。つまり、それを使っている時間が短いことが、その出来のよいことの証になっていたわけです。これは「使える GUI デザイン」の原則にも適った発想。

この Palm のデザインが、それまでどのデジタルデバイスも果たせずにいた、「役に立つ電子手帳もある」という通念を流通させることに成功した(そして Microsoft をしてこの分野に参入しようと真面目に考えさせた)大きな要因だと思う。スマートフォンの理想というのは、歴史的にはこのハンドヘルドの成功体験を前提にしている。

まあ個人的には、使いやすくて便利な携帯電話ができたらナイスだということ自体には反対しないけど。

だけどハンドヘルドからスマートフォンへというのは、べつに進化とか発展とかではなくて、たんに携帯電話に高度なプロセッサが載っていろいろできるようになったから、「もしかしてハンドヘルドが担ってたこともできるんじゃないの!?」と思いあがるようになったというだけだと思う。そして「実際にはハンドヘルドには何ができていたのか」についてまったく省みていない。というのも、Palm は登場時点も、その後のリリースでも、当時の最速とは程遠い、遅いプロセッサを載せていたからです。ハンドヘルドの成功体験は、テクノロジーの成功体験ではなくてデザインの成功体験だったのに、スマートフォンを持ち上げてた人びとはそれに気づいていない(ように見える)。

そうこうしているうちに別の「デザインによる成功体験」の大御所がやってきて、こんどはみなさまそちらに夢中になってます。しかしこの2007年の成功体験は、ユーザーを「没入」させる体験で、Palm ハンドヘルドの思想とは対極に位置したものですよね。スクリーンを指でつついてズームさせたりスクロールさせたりするのに夢中になってる面々には悪いけど、iPhone の熱狂は人びとを白痴化させてると思う。

iPhone はバカ売れしたようだけど、スマートフォンの幻想を信じている人たちはこれもまた「スマートフォンの歴史」に追記するのだろう。そしてテクノロジーの進歩がありもしないものを進化させているという思い込みをよりいっそう強くするわけだ。Palm と Apple がそれぞれまともなデザインのデバイスを作ったという別々の出来事を己が成功譚にしたてあげる妄想力万歳ときたもんだ。

結論。

  • スマートフォンという概念は幻想。
  • よいデザインのものが売れてるだけ。

日本の携帯電話を「スマートフォン並み」ということがあるけど、それについても異論がある。まあスマートフォン自体が妄想なのですが。これはこれでまたそのうち書くやも。

2007-07-31

雑談。

先日の書いておきたいこと追加。

  • スマートフォンについて。
  • 掃除機について。

イメージコード

コードをコピペするのはよろしくないとして、手で打たせることで体で覚えさせようという教育的配慮、らしい。

どうだろう。個人的には、ユーザーを子供扱いしている気もする。最近流行ってるらしい大人の漢字ドリルみたいなものか。モダンアートっぽいコードはちょっとおもしろいけど。

2007-07-25

雑談。

いくつか書いておきたいことがあるのですが、まだ書けていないのです。思うところあって、とりあえずここに箇条書きにしておきます。予告というわけではないので、結果として書かなかったということになるかもしれませんが。

  • ウェブページの品質について――ずっと考えていたことなのですが、たまたまウェブページの信頼性についての意見を最近ぽつぽつと続けて目にしたので。
  • Wiki の問題なところについて――ウェブの品質についてと関連した話。
  • オタクについて――僕は自分をオタクと認識しているので、オタクについて擁護する立場をとるべきではないかと、そういう話になるたびに思うのですが嗚呼すれ違いという話。
  • 「知っていること」とはどこまでアドバンテージかについて――もったいぶらずに教えてくれりゃあいいのにという話。

最後のは箇条書きでほぼすべて語ってしまったような感じですが。話の種にもなるかもしれないので、オフ会の時までにひとつかふたつは書いておきたいけど、最近忙しくなってきたのでできるかどうか……。出張多めの予感なので新幹線でできるかもしれない。

2007-07-23

雑談。

「トランスフォーマー」見たいです。あなたは?(ここまで挨拶) 筋とかは(監督がアレなので)期待してなくて、ロボット。テレビアニメを見てたのはたしか小学校低学年の頃だったと思うけど、好きだった。これとか「ナイトライダー」とか、そのころから洋ものドラマが好きだった。そういう元少年ばっかり見に行くんだろうな。

「トランスフォーマー」は、しばらくしたら日本製アニメテイストのシリーズ(ヘッドマスターズ)に変わってしまって、そしたら見なくなった(笑)。子供心に洋ものテイストが抜けたのを察知して、激しく違和感を抱いたのを覚えてます。ということは、ロボットとかストーリーとかじゃなくて、おもに海外もののそういうなにかを期待して見ていたわけで、そのころからひねくれた視聴者だったようです。でも人によってなにを面白いと思うかは自由だからね。

Python のデフォルト引数での注意点について。

こんなコードがあったとします。

def foo(d={}, **kwds):
    d.update(kwds)
    print d

foo(a=1, b=2)
foo(x=1, y=2)

これで表示される二行の出力が予測できますか? これはこのようになる。

{'a': 1, 'b': 2}
{'a': 1, 'y': 2, 'b': 2, 'x': 1}

ちゃんと予測できた人はこの先は読む必要はありません。かたや二行目が予想外だった人は要注意。

しかしこれを次のように書き改めてみれば、勘違いする人はいないはず。

_d = {}
def foo(d=_d, **kwds):
    d.update(kwds)
    print d

foo(a=1, b=2)
foo(x=1, y=2)

このように、デフォルト引数の値としてインスタンスを渡していると思わぬ結果にはまることがある。

この場合なら、一例として次のようにすればよい。

def foo(d=None, **kwds):
    if d:
        d = dict(d)
    else:
        d = {}
    d.update(kwds)
    print d

foo(a=1, b=2)
foo(x=1, y=2)

あるいは格好つけるとこうか。

def foo(d=None, **kwds):
    d = dict(d or {}, **kwds)
    print d

foo(a=1, b=2)
foo(x=1, y=2)

実行結果。

{'a': 1, 'b': 2}
{'y': 2, 'x': 1}

2007-07-07

更新情報

Google 関連のニュースを追いかける情報サイト、Google Blogoscoped が5月に掲載した Aaron Swartz へのインタビュー A Chat with Aaron Swartz の日本語訳を、「Aaron Swartz インタビュー」として公開します。長くてたいへんだったよ。話題は Google に限らず語っており、彼の近況がうかがえます。

公開にあたって Aaron に写真の許諾について(お知らせもかねて)メールしたのですが、その過程でちょっとおもしろいハプニングが。Aaron にあてたメールを、僕はついでにインタビュアーである Google Blogoscoped の Philipp Lenssen にもカーボンコピー (CC) で送ったのですが、これが Gmail の UI の意外な落とし穴を明らかにしたという話で、Philipp はそれをさっそく記事にしてました。

どういうことかというと、英語版の Gmail では、自分あてのメールはたとえば「mshibata to me」といったように、「me」に置き換えられて表示されるのですが、Aaron のアドレスが me@aaronsw.com だったため、Philipp は(CC でなくて)すっかり自分あてのメールだと思ってしまったという次第(アドレスの @ 以降は省略して表示されるのです)。文面は完全に Aaron 宛ての内容なので、彼からすればとても困惑したに違いない。ごめんね。「君のメールは Aaron に転送しておいたよ」というやさしい Philipp からの返信がきて発覚。詳しくは記事のほうを。ネタを提供できたのでよかったと思うことにしよう。

インタビューもクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで公開されたものですが、記事で使用されている写真もクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(スタイルシートのせいでわかりにくいけど、写真はリンクになってます)。そうでなかったら撮影者に許諾を得なきゃならなかったから、たぶん文字だけのページになってたと思います。自信がないので英語のメールを何通も書くのはしんどいのよ。そういうわけで、クリエイティブ・コモンズのおかげでボリュームを落とさずにスムーズに二次著作物を出せた、ささやかな一例とはいえるかもしれません。

Google Blogoscoped は(コンテンツが前述の通りクリエイティブ・コモンズ・ライセンスなので)、有志による追っかけ翻訳で中国語版ができている。Google 大好きっ子はだれか日本語版を用意してみてはいかがでしょう。ただし更新頻度は高い。