2006-10-29

雑談。

X60s届いた。その他ウルトラベースX6とか、追加のACアダプタも買いました。

土曜日の朝に届いてセットアップ、リカバリーディスクを作って、いらないプリインストールを削除して、必要なアプリケーションを導入。X24 のバックアップからデータを X60s のほうに展開して移行完了。

毎回移行は数日がかりだったのですが、今回は妙にスムーズにできてしまった。これはもう X60s のほうで書いています。今回は OS も変わってないし、機器構成もほとんど変わってなかったので、そのおかげかな。ThinkPad のユーティリティは、X24 から名前(「IBM」がつかなくなった)やバージョンこそ変わっているものの、ほとんど同じ構成で入ってる。AccessConnections は X24 の時点でもうあったし、「ThinkPad 機能設定」なんて X20 からあってほとんど変わってない。考えてみると息の長いユーティリティだ。バックアップをちゃんと取っていたのもよかった。あれこれディレクトリを選定してネットワーク経由でコピーとかしてたら面倒だったはず。

結果以前とほとんど同じ環境になったので変わり映えがしないけど、まあそれはいいことですよ。コネクタの配置が変わったとか、ハードウェア的なところで考えどころは残ってるけど。

ノート PC のコネクタやデバイスの配置って、メーカーは発表時に「こうなっているので使いやすい」みたいなことをいってたりするけど、けっきょくのところ基板の都合で決まってしまってるような気がする。それが使いやすいなんて理由はぜったい後付けですよね。まあようするに気に入らないわけですが(イーサネットのコネクタが手前過ぎるうえに電源は反対側側面にある背面はすかすか)、コネクタ配置のデザインまで妥協しないでモデルを出し続けてるメーカーなんてアップルくらいなので(コネクタが奥から大きい順に並んでいる!)、こればっかりはしかたがないです。

モデルチェンジで一からデザインするときには、デザイナーもコネクタ配置まで考えるのでしょうが、たいていプロセッサのアーキテクチャが変わるタイミングで基板が大幅に変わってコネクタの配置が変更される。X20 が素直なコネクタ配置だったのは新しいシリーズの最初のモデルだったからかもしれません。まあ無理やりコンパクトにしたようなノートを使ってるからといわれるのかもしれないけど、サブノートにしたって X20/X30 のころは余裕のあるデザインがなされていたというわけで……。

僕はこの人がけっこう好きだったのですが、レノボになってしまったら ThinkPad のデザインはもうやってないのかな。

ああ、話がそれた。プリインストールのことと使用感について書くつもりだったのに。

更新情報

日付は変わっちゃったけど、追記の形で。「Perl スクリプトでのコマンドラインオプション処理」に間違った記述が含まれていたので改訂しました。嘘書いてたと思うと汗がカッと出てきます。

2006-10-18

新しい ftpsite.pl のテスト。

あああ。

いいい。

日付めちゃくちゃだけど、気にしないで!(これを書いてるのは2006年10月26日)

X60s、注文したよ!

2006-10-15

雑談。

やるべき仕事がたくさんありまして。なかなか。ThinkPad X60s を買いたいのですが、今月は iPod の究極の周辺機器を買ってしまったのでカードの自由が利かない。いそがしいので、その iPod の周辺機器もあんまりいじれてないし。レノボ・ジャパンから、これでもかというくらいに ThinkPad 投げ売りキャンペーンのニュースレターが送られくるけど(ちょっとうっとうしい)、もう少しすると Core 2 Duo が載ったのが出たりするのかな。Banias が出るころからそういって今まで買いそびれてきてるわけですが。

IMAP が使えるメーラどれかにメールを移してしまえば、IMAP 対応のメーラ間での移行は簡単ですね。ほかに POP のアカウントがあっても、IMAP アカウントのメールボックス経由でデータを移せるから。評価用に複数のメーラを同時に使っててもほとんど問題ないし。さくらインターネットのメールボックスをもっと活用することにしよう。

「ぱそこんがうごかないの」という電話にそのまま答えてはいけない(?)。電話口で使用者自身から得られる情報は限定的だし不正確なので、どうしても大味なコメントしかできない。結局そういうアドバイスはたいして役に立たないので、あんまり先方の助けにならないし、先方のこちらにたいする評価まで不当に下がってしまう(まあべつにいいけどさ)。

凧揚げがしたいです。

うちも掲示板をつけたいと昨年末から思っているのですが。なかなか。自分で作ろうとか考えるからなんですけど。もう今年も終わってしまいます。

2006-10-08

テスト。

2006-09-29

雑談。

昔(といっても数年前; なんせドッグイヤーなんで)、とあるコミュニティで活躍されていたとある方が、いま何をされているのか気になっていました。思いついたときに、その方のハンドル名でググってみたりしてたんですが、すっかり消息がわからなかったのです。

その方の当時活躍していたフィールドとは別のホビーを思い出して、それを検索語に絡めてみたところ、その方のものとおぼしき「はてなアンテナ」のエントリーが見つかりました。でもこのアンテナも登録されているサイトのほとんどが閉鎖されていて、使われている様子ではなかった。

ところが、きょうもまたふと思いたってそのハンドル名でググってみたところ、あるウェブログが見つかって、それがどうやら探していたその方の書いた記事だったようなのでした(そのページに掲載されてた写真から、人違いでないこともわかった)。そこはその方の個人のページではなかったのですが、そこ経由でその方のブログや、いま現在その方が活躍されているフィールドなんかがわかったのでした。結論としては、数年前とそう遠くないフィールドで引き続きお仕事されているようでした。一瞬暗い想像もしかけてたので、めでたしめでたしです。

それならそれで「あの○○さんがいまこんなところで活躍されている!」という雑談をここに書こうかと思ったのですが、なんとなく気が引けたのでこんなあいまいな書きかたにしてしまいました。というのはその方がブログで当時とぜんぜんちがうハンドルを名のられてたからです。

ハンドルを変えるというのはときどき(人によってはしょっちゅう)あることだと思いますが、それまでの経歴とか、リンクとかもまったく書かれていなかったので、心機一転したかったのかもしれません。とはいえその方が、かつて以前のハンドルについて「パソコン通信のころからずっとこれ(このハンドル)を使ってます。このおかげで音信不通になった人から忘れたころに思わぬ連絡をもらったりすることもあるんです」というようなことを書かれてたのが印象に残っていたので、なんだか意外な感じでした。

ウェブページを公開していると、あるとき突然、熱病のように「ウェブになんのしがらみのない生活」に戻りたくなることがありますが、そういう意味合いからかもしれませんし、もともとフットワークの軽い方なのでなんとなく思いついてそうされただけかもしれないのですが、もとのコミュニティからその方を知った身としてはちょっと複雑な心境。

(ちなみに、その方はネットでの活動経歴も長く、ウェブ・コミュニティの運営もこなせるような方で人付き合いもうまかった。だから最近よく聞くブログが炎上して逃げるように云々みたいなくだらない顛末でそうなったわけではないことは断言できる。)

あるサイト、ネット上のあるコミュニティに日常的に触れていると、そのサイトの運営者や常連ユーザたちと「面識がある」という感覚を持つようになる。会ったことないのに。だけどネットの上だけのつながりなら、各人はその気になればいつでもそこから消え去ることもできるわけです。

たとえば僕がいまemptypage.jpをいきなり閉鎖して、「いがぐり大臣」というハンドルで洋菓子のサイトをlivedoorブログではじめたら、だれも僕の心変わりについていける人はいない。みんなウェブページで移転のお知らせとかを礼儀だと思ってか載せてますけど、あれって礼儀どころかじつはほとんど生命線なわけです。

いったん「面識がある」という感覚を持ってしまうと、なんとなくその人がそのコミュニティを離れるときでも、どこに行くのか、くらいは知りたいと思ってしまう。たとえばいまやWZユーザでない人たちのサイトを僕がいくつかいまだに見て回ってるのはそういう心情からきてるんでしょう。で、そうした人たちがある日忽然とウェブから消えると不安になってしまう。

ウェブというのは、いったん参画してほかの人びとから認知されてしまうと、抜けるに抜けられないところがあって、抜けるとすわ「生きてるのか死んでるのかもわからない」存在になってしまいます。いやじっさいにはウェブなんてブログが更新されててもされてなくても、その人が生きてるのか死んでるのかなんて確実にはわかんないわけです。面識のある人以外は。ん? いや、なにを言おうとしてたんだっけ。

つまり人はウェブで一度「俺は生きてるぞ」と言ってしまうと、そう言いつづけることをやめたときに死ぬ存在になってしまうのです。明日も一週間後も一年後も何らかの形で「生きている」と言明し続けなければいけません。年をとってディスプレイの文字が読めなくなり、指にキーを打つ力がなくなっても、なにも言わずにブログの更新をやめてはいけません。少なくとも、「指に力が入らないのでブログを更新できません」というエントリだけは力を振り絞って投稿すべきです。そうして初めて、読者の while (alive) { write(blog); } という絶え間なく続く評価ループは少しだけ緩められるわけです。

しかしそれでもほとんどの読者はあなたのウェブログをRSSリーダーから外しはしない。「もしかしたら」「いつか」更新があるかもしれないと、あなたが本当に死んだことを確実に知るときが来るまで(そんな日は来ないかもしれないというのに)、かれらはフィードをリロードし続けるのです。たとえあなたがかつて書いていたブログのことなどすっかり忘れてしまっていたとしても!

や、こんなことを書くつもりではなかった。よくわからなくなってきましたんでこのへんでやめます。あした朝早いし。