2008-03-03

雑談を、「だ」「である」調でお送りします。

「です」「ます」調の文体と「だ」「である」調の文体は単にスタイルの違いで交換可能なものと考えている人も多いと思うけど、じつは両者は非対称な関係にあって、「です」「ます」調で表現できない(と人によっては感じる)文というものがある、と思う。「だ」「である」調のほうが――というよりは「です」「ます」をつけないほうが――表現の自由度が高い。どういうことかというと、「です」「ます」調は形容詞と相性が悪い。

たとえば、「おもしろい」という場合、丁寧語でなければ

この本はおもしろい。

のように、ただ「おもしろい」で文を終わらせておかしなところはなにもない。しかし次の文はどうか。

この本はおもしろいです。

「おもしろいです」と書かれると、どこか舌足らずの印象を受ける人が少なくないと思う。こないだ三十路入りした人間である自分はそう感じる。なんというか、子供の作文みたいだ。「えんそくはたのしいです」。僕はこれを避けたくて「おもしろいのです」という書き方をするときがある。これはこれで微妙に文の力点が変わるのが気になるんだけど、前者の舌足らず感よりはましだということで。

駅でホームに電車が入ってくるときに「あぶないですから白線の内側までお下がりください」と言う。このアナウンスは地域や鉄道会社によって違うのだけど、とにかく東京のある路線ではこう言っている。地方から来た人がこの「あぶないですから」をおかしく感じた、という話を読んだことがある(ごめん、本で読んだかウェブだったか忘れてしまった)。その人の地元では「危険ですから」と言っていたという。これなんかも僕にはもっともな話に思われる。

形容詞の言い切りで文を終わらせるのはきわめて一般的な表現だというのに、これがしっくりこないというのは「です」「ます」調文体の大きな欠点だと思う。これは現代の国語文法的には間違っていないんだけど、いまだ権威ある用例を欠いている状況にあるからじゃなかろうか。

丁寧語による形容詞の言い切りで不自然でない表現がないわけではない。(うわ、三重否定だ。)

たいへんおいしゅうございました。

あぶのうございますから、白線の内側までお下がりください。

しかしこの「形容詞連用形ウ音便+ございます」という言い方はめっきり廃れてしまった。年配の方が言うぶんには格好もつくんだけど。「おはようございます」「ありがとうございます」に残るくらいか。このふたつは将来も化石的に残るんだろうな。

もっとも「だ」「である」調だって形容詞の終止形にむりやりつなげたら「あぶないである」となって、なんだかふざけた軍隊ごっこみたいな言い方になってしまう。しかしこういう場合ただ「あぶない」で終わらせてもまったく問題なく、「です」「ます」調が被っているような制約はない。

この「形容詞+です」に違和感を感じない世代が増えてくれば、この表現もより普及していくだろうし、たぶん僕が生きている間にそうなるだろう。若い人たちもやっぱりしっくりこないと感じ続けたら、あるいは「ございます」復権もあるかもしれないけど、まあ可能性は低い。なんにせよ、言葉は人為的に決めたとおりではなく、使いやすいように変化していくものだからね。

話を最初に戻すと、したがって、そういう表現上の窮屈さを理由に「です」「ます」調を却下している人もいるだろうということが言いたかった。長いからもう誰も読んでないだろうけど。

威圧的だとか丁寧な印象だとかは、文末の表現なんかには関係ない。「です」「ます」調で失礼なことを書くやつもいるし、簡潔な「だ」「である」文に清廉さを感じさせる人もいる。

「です」「ます」調の文章が少ないいちばんの理由はと言われれば、そこで想定されているのが基本的にウェブ日記で、日記はプライベートなものだから、ということだと思うけど。それともウェブの連中はどいつもこいつも自分をオーソリティのオーラで飾り立てたくて仕方ない愚かなエゴイストどもだから、とでも? まあ本当はそうなのかもね。

気が向いたら脱線して続くかも。

2008-02-27

Gmail は記号や顔文字を検索したくなった時に困る。雑談。最近雑談が多いね。

いや、ThinkPad X300 がほしいなあってだけなんだけど。久しぶりの「値の張る ThinkPad」だ。

われわれはますますコンピュータに依存するようになり、ディスプレイに一度に表示される情報量は多くなってきているので、もはや B5 ファイルサイズのラップトップのディスプレイでは物理的絶対的な広さが足りなくなってきている、というのがじつはここ数年の持論だったのですよ。そりゃあ 10-12 インチのかわいらしいフットプリントは好きなんだけど、最近のアプリやウェブサイトはそれを許してくれない。

OS が Windows Vista ってこと以外はほぼパーフェクトなんじゃないの? 強いていえば、SD も PCMCIA も省かれたのと、ウルトラナビになっちゃったことか。だけど MacBook Air と比べられるのは、むしろ歓迎って出来だよね。

だけどもう Windows は飽きた(嘆息)。せっかく超かっこいいデザインのラップトップを作ってもさ、中で動くのはどうせ Windows の XP か Vista なんだぜって、デザイナーなんかは不満に思ったりしてないのかな。VAIO の中の人あたりはきっとそんな感じのはず、とか想像するんですけどね……。

2008-02-24

雑談。

ウェブで他人の日記などを読んでると、時として自分がやることになったある仕事(ここでは抽象的なタスクという程度の意味)はこの人がやった方がいいんじゃないかと思うことがある。その仕事に意義があるのを頭でわかってはいるものの、自分のやるべき仕事とは違っているように感じられるというか。端を見れば、別のとある人こそそのことについて関心もあり能力もあるように思われるのだが、その人はその人で本人はさして面白いと思っていないとおぼしきことにかかずらっている。世の中の悲劇(喜劇)のひとつ。もっとも自分がやるべき仕事だと思っている方面にそれだけの能力があるとは限らないという悲劇(喜劇)もあるけれど。

ケーブル受けを作る

ふと思いつきで作っただけであるものの、部屋に来た人からやたら感心された、自作のケーブル受け。これをつける前はデスクの上奥10センチくらいがケーブルに占有されてたから、作ったことで作業スペースがずいぶん広くなりました。

デスク背面1
デスク背面2
金具アップ

デスクの裏に等間隔でヒートンを取り付けて、単語カードを留めるのなんかに使われている金属製リングを通しただけのもの。ヒートンは5本入りで75円(だったと思う)、リングはひとつ35円(×5)、総額300円もかかってない。

ケーブルが床に触れなくなって、ホコリがたまらなくなったのもよい。写真だとやたらたくさんケーブルが通っているように見えますが、これは長いのを何往復もさせているからです。

九州大学所蔵慶安二年版枕草子

こんなんだぜ。読めるようになるとはとても思えない。

源氏物語電子テキスト

本文に加え、ローマ字版、現代語訳、注釈、さらに校異まである。圧巻。しかも源氏のみならず『紫式部日記』『紫式部集』も。

電子テキストそのものは古典だと読むのに適さないのですが、古語辞典で調べた言葉などでもっと用例を知りたいと思ったときに検索できたらなあ、とよく思っていたのです。

わたしは、インターネットの最大限の利点を活かして、日本の代表的古典文学作品である「源氏物語」を、誰でもが、何時でも、何処からでも、自由に、読むことができて、しかも、使い易く、信頼できる、内容のあるコンテンツを提供したいと念じています。併せて、メールによって利用者との相互交流を大切にしていきたいとも思っています。したがって、わたしはweb上に公開したわたしの著作物に対して、著作権や知的財産権などを主張しようとは考えません。利用者の良識によって、広くいろいろと利用されさ含ざまに活用されることを願っていますので、わたしの著作物に関するダウンロードや加工なども自由です。生物が一つの生命から発生してさまざまな形態に進化を遂げていったように、わたしの作成したコンテンツからさらにより優れたコンテンツが生まれ出てくることを期待しています。一人の人間の力、一個の個体にはおのずと限界があります。このコンテンツがもしこの世に有益なものであれば、これを時空を超えて次の世代へと受け継いで永遠に発展していってもらいたいと願っているのです。(原文まま)

かっこいいなあ。かえってこういった功労者の名こそクレジットされ続けるべきである。© に代わる、利用する側が感謝を表すべくオリジナルの作者を示すのに使うようなマークでもあるといいのかもしれない。謝辞でやれという人もいるだろうけど、クレジットする行為の読み替えとして、あえて戦略的にね。

2008-02-21

雑談。

オープンアプリで遊ぶ

とりあえず、ライフゲームを作ってみました。わーい。

ライフゲーム写真1
ライフゲーム写真2
ライフゲーム写真3

ちなみにセルの配置を変える方法はソースを書き換えてリビルド!

これでだいたいフレームワーク的にどういうものか見通しがついた。以下のページが入門として参考になりました。Java も食わず嫌いでしたがそんなに悪くないですね。

2008-02-17

それで結局、IE 7 にはしたほうがいいの? 雑談。

あまりにいろいろなことに手を出しすぎていてワケワカな感じになりつつあるので近況をまとめておこうかと。ここに書いたことのうちどれがどこまで伸びるかは自分にもわからない……。

その一、平安時代(というか上代−中古の日本文学)

相変わらず『枕草子』を読みつつ、疲れてきたら図書館で借りてきた物語文学についての本などをかじったりという日々。枕草子は今年中に読めるだろうか、という感じ。難しい箇所では、古語辞典片手に一時間で十行ほどしか進まないときもあったりする。このあと源氏に進みたいんだけど……。もともと文法的なところに興味があって読むようになったので、原文でないとだめなのです。難しいけど、昔の人は今と全然違う言語感覚で文章を書いていたのかというのがおもしろくてたまらない。助詞の使われ方とかですね。で、内容がわかると中身も面白かったりして二度おいしい。おもしろすぎて引きこもり気味だ。孤独に脳内で平安時代と熱く交流しています。みんな、「女同士の友情はあるか?」って言ってる人がいたら、「中宮定子と清少納言の間には友情と呼べるものがあった」って言ってやろうぜ。

まあ端から見れば、要はアンサイクロペディアの平安時代の項の状態なわけですが。そうか、そういう方面で需要があったのね。そうなると図書館で王朝文学関連の本を借りまくってるのは自分だけじゃないかもしれないぞ。「ソ連軍に徴用された物理学者」は笑った。

しかし、平安から鎌倉時代にかけての物語文学の変遷は今のサブカルコンテンツのそれをみているようでもある。源氏がガンダムなら『狭衣物語』がエヴァンゲリオンか、みたいな。ああ、もうこういうこと言い出す時点でいろいろとアレだ。まあいいや。ひらたくいうと、後期の物語文学は古典の引用とお約束でいっぱいの自己完結的なものになっていくのです。だから場面と人物設定だけ見れば、「ああこれは○○ものね」みたいな感じで、あとはどっかで見たような描写が続く。当然似たような作品ばっかり量産される。そしてそういうのはもはや文学史的には破壊力がないので、竹取物語や源氏物語のように現代にまで伝わっているものはほとんどない。『堤中納言物語』くらいか。だけど堤中納言もほぼシチュエーション/キャラクター萌えだけのアンソロジーみたいなもんです。

その二、一太郎+ATOK

ここ数年、マイクロソフトの技術情報のページがやたら使いにくい。Google から検索で飛んできても「お探しのページがありません」みたいなことになってたり。さらにある時期から機械翻訳の文書を載せるようになった。あれを堂々と載せて平気でいられるという感覚はまともでないと思うのですが。ほかの言語圏はどうなんですかね。機械翻訳がなかなか使えるというところもあるのかもしれない、でも……。さらに

のような話を読むと、MS は日本に注ぐリソースをセーブするようになったのだという印象が拭えない。これは日本市場を軽視するようになったからじゃなくて、「圧倒的に勝ちを収めてしまった」からだと思う。Office を浸透させるまでは、Word も MS-IME も、打倒一太郎・打倒 ATOK でどんどんよくなっていくが、ひとたび競争に勝ってしまうともはやさらに開発を進める理由もなくなる。IE がなかなか改善されないのと同様の、勝利者の緩慢さがオフィススイートや OS にも現れてきているようだ。前者のほうのリンクにあるゲイツがメイリオのバンドルに難色を示すくだりなんかは、なめられたもんだという感じ。日本語の本文をプロポーショナルフォントで読むことに慣らされてしまった我々も我々だけど。

Mac の EGWORD もなくなってしまったそうで、パソコンの日本語環境はまた寂しい時代になりつつあるのかもしれない。しかも今はかつてよりそのことで不満を訴える人の割合は減ってきている。しかし、PC に縦書き原稿用紙の背景を表示させてこれがいい、みたいなことを言っている冗談みたいな人たちは無視しておくとして、縦書きの文書も作れるようになっているべきだ、とは思う。

縦書きなんていらないという意見の人もいるけど、この手の意見は敗戦後の日本語ローマ字化論や、かな漢字変換がまだ重い処理だった頃に同様の主張を繰り広げていた人たちと似たようなものではないかという気がする。なんというか、抑圧の果ての逆ギレみたいな。しかしいまや処理リソースがないといういいわけはできないでしょう。やってないというだけの話。OS に十分な API が用意されてない? 昔は漢字かな交じり文の入力だってハックでやってたんですよ!?

振り返ってみれば WZ の縦書きもいまや貴重にすら見えてくる。

そういうわけで、ある種の息苦しさを感じていたので、一度縦書き環境について調べてみようと、一太郎 2008 を買ってみました。まあ本格的に使うようにはならないと思うけど、知人の国語教師が「配布物作るのにこれしか選択肢がない」と言っていた真意を測りたいというのもあり。

OpenOffice.org も試しておきたいけど、あんまり期待できないだろうなあ。

さて、そういうのとは別に、じつは ATOK にも興味があったのです。というのは、最近の ATOK は、文語変換モードがあるのです。古典文学を読んでいると、メモ的なことを PC に書いておいたりしたくもなるのですが、引用や例文なんかが打ちにくくて「どうして単語登録に『四段活用』がないんだ!!」とかしょうもないフラストレーションをためてたもので。

そう考えると、IME も選択肢がすっかり減ってしまった。オープンソースのリファレンス実装みたいなのがあればいいんですけど。まああっても「四段活用を入れろ」とかは言えないか。

文語モードはなかなかナイス。「あなかま。」も「などかはさしもうちとけつる。」も「あやしうこそものぐるほしけれ。」も一発で変換できるぞ! しかし「大進生昌が家」(だいじんなりまさがいへ)は変換できないな。固有名詞はさすがに現代語ほど充実はしてないようで。あと《係り結びの不一致》とか指摘してくれたりもしない(あたりまえだ)。

いつのまにか話が戻ってる。まあそれくらい平安時代ははまってるってことです。

その三、オープンアプリ

オープンアプリというのは、ありていにいうと au の Java 実行環境のことです。機種変更した INFOBAR 2 にせっかく付いているので、ちょっと調べてみたんです。でもローカルのリソースにはまったくアクセスできないし、データの保存に使える領域もちょっとしかないのね。これじゃ実質ゲーム専用環境だ。

なにか役に立つビューア的なものが(←どうせ古語辞典とかですが)作れるかと色めき立ったんだけど、残念。

その四、EPWING / システムソフト電子辞書

以前遊びでちょっとやってみた、EPWING 辞書を読む Python モジュールがあるのですが(不完全だけど)、もうちょっとがんばってみようかな。どうせ目的は古語辞典とかですが。

で、

なんとなく漠然とした不安もあり、FreeType 2 をビルドしてみたり。なんだそりゃ。