雑談を、「だ」「である」調でお送りします。
「です」「ます」調の文体と「だ」「である」調の文体は単にスタイルの違いで交換可能なものと考えている人も多いと思うけど、じつは両者は非対称な関係にあって、「です」「ます」調で表現できない(と人によっては感じる)文というものがある、と思う。「だ」「である」調のほうが――というよりは「です」「ます」をつけないほうが――表現の自由度が高い。どういうことかというと、「です」「ます」調は形容詞と相性が悪い。
たとえば、「おもしろい」という場合、丁寧語でなければ
この本はおもしろい。
のように、ただ「おもしろい」で文を終わらせておかしなところはなにもない。しかし次の文はどうか。
この本はおもしろいです。
「おもしろいです」と書かれると、どこか舌足らずの印象を受ける人が少なくないと思う。こないだ三十路入りした人間である自分はそう感じる。なんというか、子供の作文みたいだ。「えんそくはたのしいです」。僕はこれを避けたくて「おもしろいのです」という書き方をするときがある。これはこれで微妙に文の力点が変わるのが気になるんだけど、前者の舌足らず感よりはましだということで。
駅でホームに電車が入ってくるときに「あぶないですから白線の内側までお下がりください」と言う。このアナウンスは地域や鉄道会社によって違うのだけど、とにかく東京のある路線ではこう言っている。地方から来た人がこの「あぶないですから」をおかしく感じた、という話を読んだことがある(ごめん、本で読んだかウェブだったか忘れてしまった)。その人の地元では「危険ですから」と言っていたという。これなんかも僕にはもっともな話に思われる。
形容詞の言い切りで文を終わらせるのはきわめて一般的な表現だというのに、これがしっくりこないというのは「です」「ます」調文体の大きな欠点だと思う。これは現代の国語文法的には間違っていないんだけど、いまだ権威ある用例を欠いている状況にあるからじゃなかろうか。
丁寧語による形容詞の言い切りで不自然でない表現がないわけではない。(うわ、三重否定だ。)
たいへんおいしゅうございました。
あぶのうございますから、白線の内側までお下がりください。
しかしこの「形容詞連用形ウ音便+ございます」という言い方はめっきり廃れてしまった。年配の方が言うぶんには格好もつくんだけど。「おはようございます」「ありがとうございます」に残るくらいか。このふたつは将来も化石的に残るんだろうな。
もっとも「だ」「である」調だって形容詞の終止形にむりやりつなげたら「あぶないである」となって、なんだかふざけた軍隊ごっこみたいな言い方になってしまう。しかしこういう場合ただ「あぶない」で終わらせてもまったく問題なく、「です」「ます」調が被っているような制約はない。
この「形容詞+です」に違和感を感じない世代が増えてくれば、この表現もより普及していくだろうし、たぶん僕が生きている間にそうなるだろう。若い人たちもやっぱりしっくりこないと感じ続けたら、あるいは「ございます」復権もあるかもしれないけど、まあ可能性は低い。なんにせよ、言葉は人為的に決めたとおりではなく、使いやすいように変化していくものだからね。
話を最初に戻すと、したがって、そういう表現上の窮屈さを理由に「です」「ます」調を却下している人もいるだろうということが言いたかった。長いからもう誰も読んでないだろうけど。
威圧的だとか丁寧な印象だとかは、文末の表現なんかには関係ない。「です」「ます」調で失礼なことを書くやつもいるし、簡潔な「だ」「である」文に清廉さを感じさせる人もいる。
「です」「ます」調の文章が少ないいちばんの理由はと言われれば、そこで想定されているのが基本的にウェブ日記で、日記はプライベートなものだから、ということだと思うけど。それともウェブの連中はどいつもこいつも自分をオーソリティのオーラで飾り立てたくて仕方ない愚かなエゴイストどもだから、とでも? まあ本当はそうなのかもね。
気が向いたら脱線して続くかも。