雑談。
ウェブで他人の日記などを読んでると、時として自分がやることになったある仕事(ここでは抽象的なタスクという程度の意味)はこの人がやった方がいいんじゃないかと思うことがある。その仕事に意義があるのを頭でわかってはいるものの、自分のやるべき仕事とは違っているように感じられるというか。端を見れば、別のとある人こそそのことについて関心もあり能力もあるように思われるのだが、その人はその人で本人はさして面白いと思っていないとおぼしきことにかかずらっている。世の中の悲劇(喜劇)のひとつ。もっとも自分がやるべき仕事だと思っている方面にそれだけの能力があるとは限らないという悲劇(喜劇)もあるけれど。
ケーブル受けを作る
ふと思いつきで作っただけであるものの、部屋に来た人からやたら感心された、自作のケーブル受け。これをつける前はデスクの上奥10センチくらいがケーブルに占有されてたから、作ったことで作業スペースがずいぶん広くなりました。
デスクの裏に等間隔でヒートンを取り付けて、単語カードを留めるのなんかに使われている金属製リングを通しただけのもの。ヒートンは5本入りで75円(だったと思う)、リングはひとつ35円(×5)、総額300円もかかってない。
ケーブルが床に触れなくなって、ホコリがたまらなくなったのもよい。写真だとやたらたくさんケーブルが通っているように見えますが、これは長いのを何往復もさせているからです。
九州大学所蔵慶安二年版枕草子
こんなんだぜ。読めるようになるとはとても思えない。
源氏物語電子テキスト
本文に加え、ローマ字版、現代語訳、注釈、さらに校異まである。圧巻。しかも源氏のみならず『紫式部日記』『紫式部集』も。
電子テキストそのものは古典だと読むのに適さないのですが、古語辞典で調べた言葉などでもっと用例を知りたいと思ったときに検索できたらなあ、とよく思っていたのです。
わたしは、インターネットの最大限の利点を活かして、日本の代表的古典文学作品である「源氏物語」を、誰でもが、何時でも、何処からでも、自由に、読むことができて、しかも、使い易く、信頼できる、内容のあるコンテンツを提供したいと念じています。併せて、メールによって利用者との相互交流を大切にしていきたいとも思っています。したがって、わたしはweb上に公開したわたしの著作物に対して、著作権や知的財産権などを主張しようとは考えません。利用者の良識によって、広くいろいろと利用されさ含ざまに活用されることを願っていますので、わたしの著作物に関するダウンロードや加工なども自由です。生物が一つの生命から発生してさまざまな形態に進化を遂げていったように、わたしの作成したコンテンツからさらにより優れたコンテンツが生まれ出てくることを期待しています。一人の人間の力、一個の個体にはおのずと限界があります。このコンテンツがもしこの世に有益なものであれば、これを時空を超えて次の世代へと受け継いで永遠に発展していってもらいたいと願っているのです。(原文まま)
かっこいいなあ。かえってこういった功労者の名こそクレジットされ続けるべきである。© に代わる、利用する側が感謝を表すべくオリジナルの作者を示すのに使うようなマークでもあるといいのかもしれない。謝辞でやれという人もいるだろうけど、クレジットする行為の読み替えとして、あえて戦略的にね。