もうすっかり昔話が楽しい歳になってしまったのう……。
幼少のみぎりファンタジーの思い出
- ゲームブックとロールプレイングゲームの思い出になりそこた何か – 更新履歴 – Final β Laboratory
- http://www.finalbeta.jp/update_log/2003_10.html#log20031014_3
「秘宝の番人 ゾンビゲーム」
がちょっと気になりますが(笑)、それはおいといて。
私のファンタジー好きは、それこそ幼稚園のときに読んだ「ナルニア国ものがたり」からと三つ子の魂モードですが、TRPG的なものとの出会いというと、やはりロードス島からでしょうか。
ナルニア国! 「ナルニア国ものがたり」「ゲド戦記」「はてしない物語」は、僕のファンタジー好きを決定的にした三本といってもいいですねー。ぜんぶ同じくらいの時期に一気に読んだような気がするのですが、小学校二年生くらいだったかなあ……。そういえば、「ゲド戦記」は十数年たって忘れかけてた頃に四巻目が出てびっくりしましたね(いま調べたら五巻も出てたのか!)。うーん、大人の経済力にものいわせて、ぜんぶ買いなおしてまた読んでみるかなあ(というわけでAmazon.co.jpにリンク(笑))。と、すっかり懐古モード。
ところで、「ロードス島戦記」は、何度かトライしたにもかかわらず、とうとう読了できなかったのですよ。これもなんだか妙な話ですが。周囲に「おもしろいよ」と言ってる人は(コアな人に限らず)けっこういたにもかかわらず。なぜなんでしょうか(って、人に訊いてどうする)?
なんとなく思うのは、「ロードス島」はちょっとカラッとしすぎていたという印象があるので、それが合わなかったのかもしれません。「ドラゴンランス」にはレイストリンという魔術師が出てくるのですが、善悪を超えて知識と力とに執着する、いつ敵になるかともしれない、このあぶなっかしい病弱青年が、僕は大好きだったんですよね。こういう、背筋がぞっとするような感覚っていうのが、自分にとってはファンタジーの醍醐味のひとつでした。ファンタジーとはちょっと違うけど、『薔薇の名前』なんかもそんな感じかな。ヒロイックな感じなのはそんなに読んでなかったような気がします。
あとは、扉一枚で別の世界につながってしまうあやうさとか、本の中に入り込んだ少年が次第に現実での記憶を失っていく空恐ろしさみたいな、現実と想像力との境界があいまいになるような感覚も大好きでした(あぶない少年だ(笑))。でもファンタジーってのは、そういうあやうさがあってこそではないかと、昨今の癒し系ファンタジーブームにはちょっと思ったりもするのですが。
あ、そう考えてみると、後年(っていっても高校から大学くらいの時期ですが)シュルレアリスムの芸術とかに興味を持つようになったのも、ごく自然な流れだったってことか。シュルレアリスム系の何か、Webでやろうかというのは今でもずっと考えてるんですが……。なにが引っかかっているかというと、やるなら人を催眠状態に陥らせるような、あぶないコンテンツを作りたいわけですが、そんなもんできるのかという問題が……(笑)。ただの美術史の資料みたいなのにはしたくないわけなのです。
うーむ、懐かしさのあまり自分のことばっかり書いてしまった……。失礼しました。
最後にゲームの話つながり(?)で、今も影響を受けてることをちょっとだけ。「Known Bugs」や「TX-Cでリストビューを使う」なんかで使っている表のスタイル(HTMLソースでclass属性に「typeA」が指定されているやつ)の意匠の元ネタは、何を隠そうD&Dのルールブック(新和版のほうね)です。シンプルながらそこそこ格好いいこの体裁を、僕はExcelなんかでもよく使います。