友人が(このタイミングで)また新たなThinkPadユーザーに(たぶんT42)。さあ、どうする、どうする自分
?
2004-12-13
なんだかんだと言いつつまた関係ない話を書いてしまいます。
おもしろい! New X-Menは、Grant Morrisonの脚本がよいというのをWebで知って読み始めたのですが、たしかにどんどん引き込まれていきます(アメコミってのはそういうからくりになってるもんですが)。
Vol. 1 (E is Extinction) からはじまる、New X-Menの特徴はポップ・カルチャーな視点が多々盛り込まれていることで、これがそれまでのシリーズと一線を画すのに一役買っています。たとえば、あのマグニートー(シリーズ開始時には死んだと思われている)はポップ・イコンに祭り上げられ、チェ・ゲバラのごとくポスターやらTシャツの柄やらにプリントされてストリートで大流行しちゃってます(で、プロフェッサーXの「恵まれし子らの学園」で反抗期のガキとかが着ちゃうわけです)。シリーズ全体の鍵を握るのはKickという一種のドラッグだし、最初のほうの筋は「学園」のインテリ・ラディカルくんがネオナチみたいなチームを作って非行に走るという展開です。
あと面白いのは、若手ミュータントのグループが出てくるんですが、かれらは「特別学級」というクラスの生徒で、ようするに落ちこぼれ的な子どもたちなのです。で、先生が「かれらは繊細ですから(どなったりしちゃだめですよ)」みたいなことを来客に言ったりするのですが、こういうのはヒーローものが基本のアメコミだとちょっと新鮮です。日本の漫画だとよくありそうですけどね。
で、「Planet X」ではそのイコンであるところのマグニートーが復活して、学園の生徒(前述の特別学級の子どもたちとか)を従えて大暴れして倒される(べつにここまで書いたってそれはお約束なんだからネタばれにもなるまい)わけですが、今回感心したのは、その倒されるまでの描きかたでした。
マグニートーは復活してミュータントのための新世界を(もちろん彼流のやりかたで)作るべく奮闘するのですが、せっかく洗脳しておいたはずの学園の生徒たちは、その過激なやりかたについていけない。一生懸命説明はすれども、基本的なところからそもそも理解してもらえない。しかも長年連れ歩いてきた部下たちと違って、このガキどもは磁界王の演説中に口を挟んだりジョークを飛ばしたりするわけです(笑)。この空回りっぷりが結果として彼を滑稽に見せてしまうという、ちょっとシニカルな描写なのです。
- ビーク:
- 誰だって痛みは感じるんだ、犬やニンジンだって痛がるんだぜ!
- マグニートー:
- なんだと!? ニンジンが痛がるだと?
- ビーク:
- そうじゃないってどうしていえる? まあたしかにそうなるとニンジンは採っちゃいけない果物ってことになるかもしれないけどさ……
ここで磁界王ぶち切れです。ビークをぶん殴りながら叫びます。
- マグニートー:
- 野菜であろうが!
この場面、セリフと絵柄のギャップが面白すぎ。
- マグニートー:
- ニンジンは果物ではないし、ここはエグゼビアの学園とはちがう! マグニートーの帝国なのだ!
滑稽な独裁者というパターンにマグニートーをあてはめていくとは、人気のあるキャラなのになかなか容赦がありません。戦いの中で頭部にひどい火傷を負った彼はマスクをかぶって人々の前に現れるのですが、そうなるとこんどはほんとにあのマグニートーなのかと信じてもらえなくなる始末。「時代遅れ」だの「伝説になった人物は復活すべきではなかった」だのさんざんな言われようで倒れてゆくという。これはなかなかショッキングですよ。マグニートーはXメンの戦力に負けたのではなくて、時代の流れに負けたわけです。かっこつけたいいかたをすると、これは、「プロフェッサーX vs. マグニートー」に表象されてきた、X-Menシリーズ全体に通底するマイノリティのありかたをめぐる倫理的な対立構造、その対立構造そのものに作品自身が再検討を加えた試みであるということができると思います(で、これができるというのはすごいと思うのですが)。
いままでマグニートーの教義というのは、「危険だが(油断しているとそれに引き込まれてしまうという意味で)魅力的なもの」として描かれることが多かったと思う(正義の戦いに疲れたXマンがあきらめに近い境地で彼の軍門に下ったりすることもあった)のですが、この戦いではもはやそうした威光はありません。というかちょっとかわいそうです。どうせまたそのうち復活すると思うけど、そのときはかっこいい悪に戻ってるといいなあ。
しかしアメコミは予備知識がたくさん要るので、これだけを読んでついていくのはしんどいだろうなあ。まあPlanet Xだけでうまくまとまっているとは思いますけど……。
- New X-Men Vol. 1: E Is for Extinction / ISBN 0-7851-0811-4
- New X Men Vol. 2: Imperial / ISBN 0-7851-0887-4
- New X-Men Vol. 3: New Worlds / ISBN 0-7851-0976-5
- New X-Men Vol. 4: Riot at Xavier’s / ISBN 0-7851-1067-4
- New X-Men Vol. 5: Assault on Weapon Plus / ISBN 0-7851-1119-0
- New X-Men Vol. 6: Planet X / ISBN 0-7851-1201-4
- New X-Men Vol. 7: Here Comes Tomorrow / ISBN 0-7851-1345-2
二巻ずつの合本もあるみたいだけど、なんかAmazon.co.jpの解説が全部おんなじで不安です。たぶんこういうことではないかと。
- New X-Men ハードカバー版 Vol. 1 (Vol. 1 + Vol. 2) / ISBN 0-7851-0964-1
- New X-Men ハードカバー版 Vol. 2 (Vol. 3 + Vol. 4) / ISBN 0-7851-1118-2
- New X-Men ハードカバー版 Vol. 3 (Vol. 5 + Vol. 6) / ISBN 0-7851-1200-6
しかし最近のアメコミは日本のマンガ/アニメの影響が露骨になってきて正直ちょっとアレ。親しみやすくなったケースもないことはないけど、表面的な模倣が鼻に付くことのほうが多いかも。あとファンには申し訳ないですが、麻宮騎亜の絵柄はキャラの区別がつきません。
2004-12-11
黒と四角とトラックポイントは大切ですよ。統合完了後に新しいラインアップが発表されたとき、「それがThinkPadかそうでないか」は現行のユーザーにしてみれば一目瞭然ですから、そのときまでは判断は保留しようかな。それにしても、結局X24で乗り切ってしまった(X31キープしといたほうがいい?)。
しかし「行く先々人に会うたびThinkpadをLenovo呼ばわりされる今日この頃」
ってのはいやすぎ(笑)。新手のいやがらせですか。
どうでもいいですけどLenovoとかいうよくわからん横文字より個人的には「聯想集団」のほうが好きだなあ。だって集団ですよ集団。「聯想集団ThinkPad」ならありですよ、ある意味。
中村さんのLet’s Noteの話ではないですが、PalmといいBluetoothといい、僕のセレクションもことごとく自分の手から抜け出ていってしまう傾向が。「緩やかに死につつあるもの」を嗅ぎつける才能があるとしか思えません(お望みならこのリストにWZも加えましょうかね)。いいんだ、いいんだ、安易な流行に尻尾振ってついてくなんて人間じゃない、レミングの生き方さ!
iPodは買いましたけどね。
僕も自分では「キーボードにとくにこだわりはないので……」とか思ってたんですが、数日前に家電量販店でサブノートっぽいのをいくつか適当に触ってみたら泣きそうになりました(打ち心地だけでない、万感の思いが押し寄せてきたらしい)。
ああ、かれらはぼくに スプーンで土地を耕せという 金のフォークに銀のナイフをつけるという ああ、そうじゃない ぼくに鉄の鋤をくれ きみたちは大地の硬いことを忘れて そこになんの種を撒こうというのか
ポエムもできました。
2004-12-10
ああん、<type ‘str’> って入れたのに、まるごとサニタイズされちゃった。
2004-12-08
ああ、またあんまり書きたくないことを書いてしまった……。
ほんとは、ここにはマクロやスクリプトの更新情報だけを書いていたいのです。信じてもらえないかもしれないど(そもそも最初のうちはそうは思ってなかったですし)。でも昔はもうちょっとそうだったから、ちょっとタガが緩んでるだけなのかもしれません。
ところで、WZの開発ではいろいろ言われてますが、僕はT_Y_さんのWebに対するあの関心のなさはじつをいうと以前からけっこう好きだったり。サービス精神旺盛で、Webサイトに掲示板にメールマガジンに笑顔をふりまく(そんな人がいるのかどうかは知りませんが)饒舌な開発者さんもいいですけど、プログラムを書く能力とそういう営業精神が両方備わっている人なんてそうそういないと思うので(Webサイトの運営を別の人に頼んでいる人もいますね)、そういうのにはなんか警戒してしまうというか、なんといったらいいのか「ありえない健全さ」にひいてしまうというか、まあ変な貧乏性なのかもしれないけど、そういう印象を持ってしまうのです。
上の段落でいってることはかなりの確率で誤解されると思うけど、まあいいや。まさかそうとる人はいないと思いますけど、擁護論じゃないですよ。WZの話とはぜんぜん関係なくて、ソフトウェア作者さんの個性の話です。
しかしいまさらそっけないダウンロードページのみのWebサイトにするのもなんか「思いつきで脱サラして蕎麦打ちはじめました」的な軽薄さが漂うので、地味を志向してそれに近づいていくのは先が長そうです。
毒吐き?
タスクリストのことについて書こうと思ってたんですが、心の赴くままに書いてみたら、ものすごく毒々しくてちょっと載せられない感じになってしまいました。でも比較的当たり障りのないと思われるところだけ。おそらくみんなが考えてたこととそんなに変わらないと思いますよ!?
まず、山口さんもVCの掲示板をご覧になってることはすでにわかってるので、掲示板に書けばその投稿は山口さんの目に入るわけですよ。販売元でも「作者に伝達」がせいぜいできることのMAXだというのならわざわざ遠回りして山口さんに伝える意味がわかりません。掲示板なら他の人からの補足も入るし、そもそもそれがWZ BBSの当初の目的のひとつだったのでは?
それから、タスクリストがなんとなくあほらしく感じる最大の理由は、「やらなくていいことをやってないか?」という疑問を払拭できないという点と、しかもそのやり方が下手だという点。要するに「やる必要のないことをもっとも拙いやり方でやっている」ように見える。タスクリストが目的としている(とおぼしき)ことを最大限の効率で実現しようとしたら、メールでわざわざ受付し直すという方法はありえないでしょう。しかもこれは過去の報告はドブに捨てるといっているようなものです。それともこのやり方が目的を達成するのに最適な方法だったというのであれば、僕にはその目的というのがなんなのか推測できません。
ところで、「ガス抜き」説もいわれてますが、僕にはこれがそんな外科的でクールな意図からはじめたことには思えませんでした。(この件これ以上は自粛。)
僕はサポートを誠意云々で論じるのはしませんが、意味不明なことをしてサポートのふりをするのは時間と人的資源の無駄だよなあというのは思います。
まあ、それがよかれと信ずるところに基づいてやっていることだというのであれば(一ユーザーに理解できないというだけの理由で)あえて止めはしないというだけのことですおしまい。