先月の話。ファミリー・レストランで初老の夫婦。歌舞伎かなんか観てきた帰りなのか役者の話などしていて、趣味がいいな、などと思っていたら。とつぜん、どこかでやたらに声の高いおばさんの声がした。ウエイターに行っているのだと思うのだけど、店中にまる聞こえである。

「あなたこの近くでホテル知らない?」
「うちの周りみんな停電になってしまって、テレビも電話も使えないの」

ウエイターもそんなこと聞かれても知らんだろ、と気の毒に思ったけど、近所のホテルを調べてあげたりしているらしい。……が、おばさんは耳が遠いのか、どうにも噛み合わずに同じ話が何度も聞こえてくる。

「あたしのうちの周りみんな停電になってしまって、電話も炊飯器も使えないの」
「ホテルあるの? いくら?」
「あらあるの。どこ? タクシーいくら?」

えらい声がでかいので、店の雰囲気も平静を装いつつもちょっと緊張した感じになっていた。まあ何でも店員にやらせる人はいるよな、などと思っていたのだけど、そこで先ほどの老夫婦の旦那のほうが、奥さんに小さい声で、

「(電気)止められたんじゃないのかな、きっとそうだよ」

と言ったのが聞こえて、一瞬で合点がいった。もともとネジが外れているか止められたせいかで、ちょっとおばさんはおかしくなっているのだ。お金がないのを否認したくて「ホテルいくら?」とか「タクシーいくら?」とか言うのである。

それで、そのおばさんよりも、おばさんの声しか聞こえないところで状況を一瞬で見抜いた紳士に感心してしまった。いろいろな人間を見てきて働く勘なのだろうね。こういうちょっと異常な形で現れた裏に働いている心理を見抜くのは若いもんには難しい。(勉強させていただきました……)となんだかすごく謙虚な気分になって店を出てきたよ。そんな話。