2008-12-14

今日は全般的にもやもやした話。

よくウニとかシャコとかを前に「これ最初に食ったやつすげえよな」なんて言ったり、食べられるキノコはどうやって見つけたんだなんていう話をするけど、考えてみると最初に食ったときにヒトだったとは限らないよね。食物についての情報は生命にとって優先度が高いから、ヒトがヒトになるよりはるか前に知ってたかもしれない。

と、思ったけど、現生人類がアフリカから広まったのなら、まさか最初からシャコが食えるとは知ってなかったか。やっぱり最初に食ったやつがいたんだ!

でも「死への恐怖」とか「母親」とか「敵・味方」とか、人間そのものよりも歴史が古い基本的概念ってあると思うんだよね。

ディレクトリ名の単数形・複数形

URL もそうなんだけど、スクリプトとかデータの格納場所としてディレクトリに英語で名前をつけようというとき、単数形にするべきか複数形にするべきかで悩むことが一年に数回ほどある。

Windows のエクスプローラなんかでフォルダを開いてると、「これは写真を入れるとこだから Photos だな」といった感じでなんとなく複数形のほうがしっくりくる。Windows も Mac も、UsersDocumentsPictures だし。もっとも、この辺のファイルやフォルダは日本語で名前つけちゃっても問題ないので、「自然言語で命名」という意識がそうさせてるのかも。

しかしプログラムを格納したり、サイトで URL になるようなディレクトリだと、パス名を意識するので単数形のほうがいいような気もする。などと言いつつ、emptypage.jp では /stylesheets/ とか /translations/ とか、ぜんぶ複数形にしちゃったけど。いまなら単数形にすることだろうけど、もう遅い。

考えてみると、「何が入っているのか」を説明するという発想の命名規則と、雑多なファイル群を分類するという発想の命名規則があって、前者なら複数形、後者なら単数形で名付けているということなのかもしれない。だけど慣習やその場の判断も大きくて(datum なんてディレクトリにはしないでしょ)、やっぱりその都度考えてしまうのであった。まさに時間の無駄。

でも何も考えないとたいてい複数形にしちゃうなあ。tools とか。

変数名の単数形・複数形

単数形・複数形といえば、プログラムの変数名でも変なことで悩んだりする。ツリー状にオブジェクトを組むとき、子ノードはだいたい child とかにして代入・操作するわけですが、それを格納するリストをどうするか。children とすると、なんか妙な感じがする。で、悩んだあげくに childnodes とか、長い名前になってしまう。まさに時間の無駄。

源氏物語

何人かに話を聞いてみると、やはりというべきなのか意外とというべきなのかわかんないけど、源氏物語に対して、「華やかな貴族文化と恋愛模様」という王道のイメージで好感持ってる女性は少なくないのね。男性の場合は、これは聞いてまわったわけじゃないけど、源氏物語に対するおおかたのイメージとしては、「とくになし」というのが大半だと思う。

貴族文化と恋愛模様なんて趣味はいまどきはみんな軽蔑してるのかと思ってた。自分がひねくれて考えすぎていたか。

戦国時代には、各国の武将がこぞって連歌師を呼んで源氏の講釈を聞いたとか。これは戦国武将たちの貴族文化へのあこがれとしては理解できるけど、なんだかおかしな光景だ。

一条兼良という人は、毎年、その年の初めに源氏物語の「若菜」の巻を朗読していたとか。それで「めでたい」とか言ってたんだろうか。

「あさきゆめみし」なんかは源氏物語を恋愛物語としてとらえているように見えるけど。平安時代の婚姻を恋愛と考えると、どこかで齟齬をきたすような気がする。

赤染衛門集とか蜻蛉日記とかを見ると、男が女の元に文を出すが、女の側が親なり女房なりの代筆で「まだもののよくわからない子供ですから」と断る、といった似たようなシチュエーションが出てくる。だけどこれ、男のほうは女の顔もまだ知らないんだぜ。どこからか、あそこに若い女がいるというのを聞きつけて、それで何度も熱烈な歌を書いてよこしてくる。そういう場面からは、自分はもうギラギラした男の欲情しか感じないんだけど。これを現代の意味で恋愛とはいえないでしょう。

だからけっきょく、その時代時代でみんな興味のあることにかこつけていろんな読み方で源氏物語は消費されてきたということなんだけど、どれも紫式部日記の内省的な感じとはギャップがありすぎて、そこが気になる。樋口一葉なんかはどう読んでたんだろうか。