(読んでる人はなにがなんだかわからんと思いますが気にしないでください。今日のここは日記です。)
先週、大学時代にお世話になった先生が亡くなりました。僕はなぜかいまこんなところでCとかマクロとかPythonとかいってますが、学生のときはぜんぜんそういうのとは関係のないことを勉強(?)してたんでした(だから僕のともだちが、僕がこんなページをやっていることを知ったら頭上にはげしく?マークが飛ぶと思う)。お葬式では必然的に、やはり当時お世話になった方々と顔を合わせることになるし、なんだか浮世をふわふわしていたら、先生の訃報で、突然「キミの本分はこっちじゃないのか」と腕をひっぱられて呼び戻された感じ。
そうなんですよ、そこが問題なんですよ。いまだに学生くずれみたいなフリーター生活をしてるのはそれが原因なんだった。どこかで線引きをして区切りを打たないといけません。
しかしそれを徹底するには、僕はあまりに移り気で、性格が身も蓋もなく、器用貧乏系で、サンデー・プログラミングが好きすぎる(苦笑)……。
いろいろな理由から(ていうかほとんど家庭の事情だけど)、仕事ではもう僕はこれまでどおり(自分がどちらかというと)好きだった業種で気ままにというわけにはいかなくなるということがだんだん確実になってきた。しかも追い込まれていく方向に広がっているのは、僕がいちばんアレだと思っていた世界。
とはいえ、人生を自分から「いやいややって愚痴をこぼす日々」に収束させるようなことだけはまっぴら御免です。一方で、どうやら歳をとると人生上「(なければベターだが)やむをえない」部分が生じるのは避けることができないようだというのがわかってきました(←おせーよ)。いや、学生のときは「やむをえないもの」と「ゆずれないとこ」は二律背反だと思ってたんですよ、馬鹿だから。しかしどうやらこの「やむをえないもの=ヤム」と「ゆずれないとこ=ユズ」は両方背負って運んでいかないといけないらしい、と。ま、「ヤム」と「ユズ」の量(重さ?)が人によって違うとかいうことは当然出てくると思いますが、これに関してはあきらめるしかないのかも。
幸いなことに、今のところはそのヤムとユズに圧倒されるという気分じゃないみたい。したがって、人生の当面の方針としては、「ぜんぶやる」という方向で。ヤムの部分もやる。ユズの部分もやる。あれもやるしこれもやると。より自分を酷使していきたいマゾヒスティックなメンタリティ。ペースは落とさず、運動量は増やす。当然このサイトもやりますよ。というのは、「なにかをあきらめたから、代わりに別のなにかが手に入るわけではない」ということもだんだんわかってきたのでね。
息切れしたら、「疲れた」って書きますが。