雑談。
最近あまりパソコンを叩いていないのです。何をしてるかというと、平安時代について調べたりしています。『枕草子』とか読んでいる。古語辞典も買った。自宅用と携帯用と、ふたつも。何がおもしろいとかは、どこから興味を持つかで変わってくるものなのですよ。
前々からほしかったワーキングチェアを注文。プログラムとかはこれが来たらやってやる、と思ったら、納品は今年中は難しいと思いますだって。
ストールマンの知財エッセイの翻訳が、ほかにふたつも出ていた
前者は2007年10月15日、後者は2007年10月23日公開。10月のストールマンの来日に刺激されたのではないかと。
べつにいいけどさ。というよりも、ある程度の量の文章の翻訳を自分のも含めて三つも比較できるというのはなかなかない経験で、おもしろいです。へんな言いかただけど、どれも似てたのが意外。元が同じ文章なら似て当たり前、と思われるかもしれないけど、訳している時は訳文の候補としてけっこういろんな可能性を切り捨てているので、ほかの人がやったらぜんぜん違ったものになるのではないかと思うのですよ。厳しい言いかたをすれば、どの翻訳も辞書から抜け出せていないということなのかもしれない。
しかしこれらの翻訳を読んでたら、拙訳に明らかな誤訳を見つけてしまった。いま英文を見ると、なんでこんなものをというような簡単な文だ。作業中は頭の中がいっぱいいっぱいなので、単純な英文をわざわざ難しく考え込んだりしてしまう。見直しはしてるつもりなのですが、それでも一度引いて見るというのは大事だということ。
以下、こういう話に興味のある人向け。
間違ったというのは、“Nothing could be further from the case.”
という文で「これほど事実からかけ離れたものはない。」とでもいう意味。これらは上記二訳では「これほど事実と異なることはない。」
、「しかし、これほど事実と異なることはありません。」
としている。それを拙訳では「この件に関しては、これ以上のことは言いようがない。」
と訳し違えている。単語 case を取り違えたせいですが、こうして書くと恥ずかしいのう。
それから、“if you learn some fact about copyright law, you’d be wise to assume that patent law is different.”
を自分は「著作権法についていくらか調べてみれば、それが特許法とは違うものだということにすぐに気づくだろう。」
としているが、上記二訳では「もしあなたが著作権法について少し学ぶなら、特許法は異なるものだと仮定した方が賢明だろう」
「あなたが著作権法についていくつかの事実を学んだとしても、特許法はそこで学んだこととは異なっていると仮定したほうが賢明でしょう」
とどちらも同じような文章にしている。じゃあこれは自分のが間違ってたのかと取り下げたくなるけど、実はこれはまだ完全には(自分が間違っていたという)自信が持てない。would に「〜したほうがよい」って意味はないのでは? もっと辞書の解説を読まないとわからないな。そしてこの部分の解釈が、続く “You’ll rarely go wrong!”
の訳しかたの違いにつながっている。誰かご指導いただける人はメールください。
さらに、長いところで、
Economics operates here, as it often does, as a vehicle for unexamined assumptions. These include assumptions about values, such as that amount of production matters, while freedom and way of life do not, and factual assumptions which are mostly false, such as that copyrights on music supports musicians, or that patents on drugs support life-saving research.
という段落(の二文目)。長いので訳文は引用しませんが、自分は matters を名詞ととってしまったために不自然な訳になってしまっている。そのせいでここはすごく苦労したのを覚えているので、いま読み返すとぜんぜん難しくないのに拍子抜けしてしまう。ハマっている状態というのは恐ろしい。
と、このあたりの修正を今週末にでもしたいです。