2008-06-25

木曜日に風邪を引いてしまって、それから何日もダウンしてました。みんな気をつけよう、今年の風邪は腹に来る。

ずっと寝てたので、枕草子は進んだんじゃないかというと、そんなことはなかった。エネルギーがないので頭が回らない。一行読む前に疲れてしまう。もう治りかけのときにちょっと読めたくらいでした。しかしそのちょっとの間に読んだのが、こんなだった。

〔一五八〕 うらやましげなるもの 経など習ふとて、いみじうたどたどしくわすれがちに、返す返すおなじ所をよむに、法師はことわり、男も女も、くるくるとやすらかに読みたるこそ、あれがやうにいつの世にあらんとおぼゆれ。心地などわづらひて臥したるに、笑(ゑ)うちわらひ、ものなどいひ、思ふ事なげにてあゆみありく人みるこそ、いみじううらやましけれ。

(意訳) うらやましく思うもの 経文を習うとなると、わたしなどは読みぶりもたどたどしくて、忘れて抜かしたりしながら何度も同じところを読むことになってしまう。ところが法師は当然だが、男でも女でもくるくると難なく読む者もいて、いったいいつになったらあんなふうになれるのやらと思わずにはいられない。気分や体調を崩してふせっている時に、にこにことおしゃべりをしながら事もなげに歩きまわっている人を見るのも、うらやましく思われてくることこの上ない。

病をしてみないとわからない健康のありがたさという。訳もしてみた(「くるくる」というのが気に入ったのであえて残す)。暇さえあれば古文関連の何かを読んでいたので、生活もずいぶん荒れてました。それで体調崩したのかもしれない。端的にいえば馬鹿です。

ところで dt 内に blockquote って書けないんですね。dt: 原文、dd: 訳文、としたかったのに。

LaTeX

枕草子を読みながら、最近、いくつか気に入った段を現代語訳するというのをやりはじめました。いまのところは、訳して、印刷して(PDF にして)、とっておくだけですけどね。で、当然縦書きで出力するわけですが、これはいったい何で清書したものか。WZ の縦書き印刷でもいいといえばいいんですが、やっぱり約物とかが間延びするし、内容上ルビを振りたいところも多い。そんなときのためを思って買った一太郎だろ、ということでちょっと触ってみたんですけど、いまどき Esc でメニューが出るようなアプリははっきりいって使いたくないと思った。それに、推敲はエディタでやりたいんすよ。

というわけで、TeX (pLaTeX) かよ、という話に。僕は TeX はあんまり好きでないのです。そのうちフロッピーディスクなんかと一緒に過去の遺物になるかと思ってました。なんかアドホックな感じの命令体系に見えたし、へんなロゴを出力させて自画自賛してるのもあほらしかったし、ソフト名の発音からして聞きたくもない蘊蓄がまとわりついていて、コミュニティは「TeX と LaTeX は全然違います」とかどうでもいいことを初心者に高飛車に言い放つ大人げない人びとの集まりに思えたし、変数名にすぐローマ字を使うし、命名規則の慣習が確立されてないし、名前空間的なものがないし、作者が死んだら手を加えるなとか言っているらしいのも気に入らなかったし、まああらかた偏見なんですが、あまりいい印象がなかったのですよ。だからいままで習得を意図的に避けてました。

しかし縦書きのきれいな PDF がコマンドラインから作れるのは、いい。誰も代替を作らないから、いつまでも残るでしょうね。

まさか推敲を TeX のソースでやる気はしないので、テキストファイルから TeX ソースに変換するテンプレートを作って、Makefile を書く。テンプレート言語には texttemplate.py を使います。おお便利じゃん、と自画自賛。

tex.tmpl
{% exec %}¥
encoding = '{% encoding %}shift_jis{% end %}'
import re
import sys

def filter(data):
  # {漢字|ふりがな} をルビにする。
  return re.sub(r'{([^|]*)¥|([^}]*)}', r'¥kana{¥1}{¥2}', data)

{% end %}¥
¥¥documentclass[landscape]{tarticle}
¥¥usepackage{furikana}
¥¥begin{document}

{% for line in sys.stdin %}¥
¥¥noindent {{ filter(line.decode(encoding)) }}
{% end %}¥

¥¥end{document}

これで、python -m texttemplate tex.tmpl < foo.txt > foo.tex ってやる。

それにしても WZ の縦書きサポートはたいしたもんです(編集は横書きでやってますが)。ちゃんと不具合をつぶしてくれれば、やっぱり Windows では最強のエディタだったんじゃないかな。惜しいことをした。

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2008-06-18

喫茶店で隣の客が「ネットワーク」で「クラスタ」云々と言っていたら、計算機の話だと思うでしょ?

ところがこれが水の話だったのでした。水商売

ねず-なき【鼠鳴き】〔名〕ネズミの鳴き声に似た声を出すこと。また、その声。[例]「雀の子の、――するに踊り来る」<枕草子・うつくしきもの> [訳](かわいらしいものは)雀の子が、(人が)ネズミの鳴き真似をすると跳ねながら来るの

『ポケットプログレッシブ全訳古語例解辞典』小学館

おまえわざとやってるだろう。(前科

たぶん、この「の」って「もの」という(「この鉛筆はぼくだ」というのと同じ)意味で使ってるんでしょうね。まあ野暮ったいことはいいっこなしか。

この辞典は用例が枕草子にやたら偏っていて、枕草子を読みながら語義を引いていると、読んでいるそのものずばりの箇所が用例として訳付きで挙げられてるのに出くわすことが多い(あんまり嬉しくはない)。他の古語辞典だと源氏物語の用例が多いのがふつうなんですが。編者の専門が枕草子なんでしょうかね。

いもうとせうと

清少納言は生涯で三度、結婚と離別を繰り返しているのですが、最初の夫が橘則光(たちばなののりみつ)という人です。で、少納言はこの人とは離婚後もけっこう仲がよかったらしく、分かれた後もお互いに「いもうと(妹)」「せうと(兄)」などと呼び合っていたらしい(八二段)。しかもこの恥ずかしいあだ名は公知だったらしく、則光は宮中の他の殿上人からも(役職名ではなくて)、せうと、せうと、と呼ばれていたそうです。

ふーん、と思うでしょ。で、僕はこれを読んだときに、昔 Amazon.co.jp がおすすめしてきたやつのことを思い出してひらめいたのです。「あっ、これってそれで思いついたな!」と。

もちろん清少納言の明るい性格だけでもこういうマンガを作る下地はあるといえるんでしょうが、もし僕が当代の若手漫画家だったら、このエピソードを聞いた瞬間に「これはいける!」と思ったはず。ちなみに読んでないのでおもしろいかどうかは知りません。

漢文

古典を読んでると、やはり漢文の知識が必要になってくる。弱った。自慢じゃないけど僕は漢字漢文がほんと苦手なのよね。西洋文明至上主義者だったからね、ははは。清少納言は漢籍が得意でうらやましいなあ、とか思うわけですが、ちょっとくらいは漢文も知らないといけないような気がしてくる。とりあえず原田種成『漢文のすゝめ』という本を手にしてみましたが、この先生はすごいすね。

漢文一筋の人生を送って八十歳を超えた今、漢文を軽視する傾向が強い現状を見て日本の学術文化および日本語の将来について心配することが多い。

日本人は日本語で考える。だから語彙が貧弱であると、思考力も貧困になる。日本語の語彙を豊かにするには『源氏物語』や『枕草子』の類からは得られない(原文ママ)。漢文こそ日本語の語彙の宝庫なのである。

原田種成『漢文のすゝめ』新潮選書、1992年、p. 223

主張はよくある話なのでどうでもいいですが、これがおもしろいのは国文学者のコンテキストだと漢語と外来語こそが日本語を不自由なものにしてきたという認識に持っていきそうな話なのに(じっさいにそんな単純なこという人はいないと思いますが)、まったく反対の解釈から、しかも同じ結論を導き出しているというとこです。

日本人の仲人は何時ごろから始まったか、『源氏物語』には仲人など全くなく、中には強姦が四件ほどある。

同書、p. 227

なにこの言及の仕方。

しかしここまでの堅物だとかえって信頼感が沸いてきます。この人は『大漢和辞典』の執筆に携わったたいへん偉い人なのです。

と、偉い人に感化されてひとつ白居易のやつでも読むかと思ったのですが、どうもしっくりこない。平安時代の人たちはほんとにこれをいいと思ったのかな。人気あったんですよね。なんかとりつく島がないというかなんというか。鑑賞の仕方がわからん。ムードだけじゃん? とか言うと、怒られるのかな。

オレオレ箴言

141 われわれはよく、自分は少しも退屈しないと自慢する。そしてすっかりつけ上がっているから、自分が一座をうんざりさせる人間であることを認めようとはしないのである。

二宮フサ訳『ラ・ロシュフコー箴言集』岩波文庫

あ、おれおれ、おれだけど!

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2008-06-12

赤ちゃんは「じじ」「ばば」から「じいじ」「ばあば」というHLの構造は作り出すが、「じじい」「ばばあ」というLHの構造は作らない。「じじい」「ばばあ」は子供心を失った大人の言葉であり、また大人の世界でも非常に悪いニュアンスを持っている。

窪薗晴夫『アクセントの法則』、p. 51、2006年、岩波書店

なんか笑った。

本居宣長のいう「徒」について 完結編

あー、うやむやにしておくのは気持ち悪かったので、『詞の玉緒』借りてきた。ざっと流し読み。すると、「徒とは こそ などいふ辭のなきを今かりにかくいふ也」とある。この説明や、あげられている例を見る限り、「徒」というのはやはり係助詞を含まずに用言で終わる文、ということのようです。

「徒」の例としてあげられている歌(ちなみに宣長はこういう歌の用例のことを「證歌(証歌)」と呼んでいる)。

おちたきつ瀧のみなかみ年つもり老にけらしな || 黒きすぢな (古今十七)

あなこひ || 今も見てしが山がつのかきほに咲るやまと撫子 (古今十四)

かきくらす心のやみにまどひにき || 夢うつゝとは世人さだめよ (古今十三)

『詞の玉緒』は分量のほとんどが証歌すなわち用例の提示にあてられている。過去に用例がある、というのをひじょうに重視していたことがわかります。「全集」の解題によれば、半紙を二つ折りにして一面に33行ずつ、古典文学作品から歌だけをカタカナにして書き抜いて作った自筆資料が(冊子の形で残っているものだけで12冊、さらに綴じてないものが100枚以上)残っている。写真を見る限り、係助詞別に整理していたようです。前も書いたような気がしますが、ああ、こういう人にパソコンがあったらねえ。

ただし、宣長は用言の語尾の終わりかたに注目しているだけで、彼の中にはまだ「品詞」という概念が確立されてないという点には注意しなければいけない。だから、動詞の活用形とそれに続く助動詞とを厳密に区別できていない。解題に指摘されているように、「流るる」という語と「頼まるる」という句を「る・るる・るれ」の例としてひとくくりに扱っている。今日では「流るる」は動詞「流る」の連体形、「頼まるる」は、動詞「頼む」の未然形+助動詞「る」の連体形、と理解されるものです。そして、どうも「ぞ」「や」などの係り結びの結びと、名詞の前に「続く形」(「流るる河」の「流るる」など)が同じもの、つまり連体形という活用形、であるとはわかっていなかったんじゃないかという印象も受ける。

古文の構文

品詞という概念においては、同時代の国文学者、富士谷成章(ふじたになりあきら)のほうが先んじていた、と。『あゆひ抄』。読んでませんが。

しかし、現在の文法が品詞に重きを置きすぎて、いわゆる「文型」をまったく提示できていないのにたいして、宣長の記述には文型の研究といってもいいようなものの萌芽が見られるようにも思える。英語の5文型とか、フランス語の6文型といったようなものは、語学をする者にとってはひじょうに役に立つものですが、日本語には古文にも現代文にもそういうものが、まだない(よね!?)。宣長は文中で句をまたぐ「係り」と「結び」に注目していたので、必然的に文全体に目がいったのではないかと思う。

たとえば「は」の解説では、体言で結ぶ「は」(「笠うめの花笠」)や、「…を…は…」の類例(「山のかすみあはれと見よ」)などを集めて考察しています。「ましかば」の後には「まし」で終わる句が来るとか、入れ子になった係り結びは間に「と」が入っているとか(要は引用の「と」です)、文の構造についての観察は多い。

宣長に限らず、国学での係り結びの研究はそのまま続いていたらある種の文型論までいってたんじゃないかという予感もするのです。

それではなぜそうならなかったのか、というと、明治時代に西洋の文法学を盲目的に取り込んで、それまでの研究を断絶させてしまったのが一因としてあると思われる。

『国語学史』という本に、明治時代の文法論の本の目次が紹介されてるんですが、これがなかなかすごいです。

明治維新以降、西洋文典の日本語への適用による日本文法論が現れたが、中でも詳しいものが田中義廉(よしかど)の『小学日本文典』(明治八年刊)である。文法論全体の構成は、[七品詞の名目][名詞、名詞の性、名詞の種類、集合名詞、名詞の格][形容詞、形容詞の詞尾、形容詞の名詞、数形容詞][代名詞、人代名詞、疑問代名詞、復帰代名詞、指示代名詞、不定代名詞][動詞、動詞の種類、動詞の活用、分詞、助動詞、動詞の法、動詞の時限、配合の例、動詞の定音、集合動詞、転成動詞][副詞、副詞の品類、転成の副詞][接続詞、第一種の接続詞、第二種の接続詞、接続詞の品類][習煉]である。品詞中心であり、西洋文典の構成にならったものと言える。品詞についての論の内容も、「名詞の格」「名詞の性」「集合名詞」「分詞」「復帰代名詞」など、いかにも西洋文典の直訳的である。日本人による研究で重視された「係りと結び」については全く論じられていない。

馬渕和夫・出雲朝子『国語学史 日本人の言語研究の歴史』、pp. 94-95、1999年、笠間書院

「名詞の性」なんて章が日本語についての本でそもそも立てられるのかと、これには驚愕した。いったい何が書いてあるんだろう。西欧コンプレックスここに極まれりです。しかしローマ字で国際化とかサマータイムとか言ってる連中がいる限り、いまだわれわれもこれを笑い飛ばすことはできませんぜ。

僕は高校時代の古典の授業はおもしろいと思った記憶がまったくないんですが、ひとつにはそのあまりにも場当たり的な読み進め方に学問としての魅力を感じなかったというのが理由としてあると思う。時代も伊勢物語やったかと思えば奥の細道やってみたりと、あっちこっちに飛ぶ。そこまで時代が隔たっていれば、文法的にはまるで違ってくるというのに、たんに「古い言葉は今とは違う」という程度の印象しか抱かせないまま辞書を引かせて、品詞分解ばっかりさせている。「文法が違う」というのを「単語が違う」というのと同列に扱っているのはあんまりだと、今なら思う。そして構文的なことは反語も係り結びもぜんぶ「強調」で片付ける。これはよくないよ。国語の先生は文法が嫌いだから? しかし、文法を理解せずに鑑賞をすることはできませんよね。けっきょくのところは、日本語というよりは、たんに教養を教えたかっただけだったんでしょう。

本文を読む前に、解読のガイドラインとしてその時代ごとの特徴的な構文を解説するなどしてくれていれば、少しは古典の授業もインテリジェントな営みに思えたような気がする。なんか、印象が作業的だったんですよね。

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2008-06-05

池田亀鑑氏は1956年に亡くなっているので、彼の執筆・校訂した著作物(いま自分が読んでいる岩波文庫版『枕草子』など)はいまやパブリックドメインに属してるんですね。

さて先週の助詞の話、分量が多くなるからと削ったせいで肝心のところが抜けてしまったかもしれないので補足。もうみんな読み飛ばしてるだろうけどさ。

格助詞「が」の話の補足

まず、格助詞「が」の用法の経緯について。本の引き写しを知ったふうに書くのも恥ずかしいかと思い書かなかったのですが、例だけじゃ不親切だった。詳しくは大野晋『係り結びの研究』の最終章か岩波古語辞典の「基本助詞解説」を読んでください。「基本助詞解説」での説明を要約すると、

  • 「が」はもともと連体助詞だった。現代語の「の」のようなもの。つまり体言と体言を結びつける。「君が代」「雁が音」など(万葉集)。
  • 「我が思ふ妹」(万葉集)というような表現もある。ここでは「が」は名詞「妹」にかかっているのだが、「思ふ」の動作主であるようにも見える。ここに後になって主格を表す助詞としての用法の生じる余地がある。
  • また、用言(動詞・形容詞)の連用形・連体形は「……すること・もの」を表す(現代語でも「走り」「人殺し」といって走行する行為や殺人を犯す者を表すように)ので、文中では体言の資格を持つ。「君が歩くに」「清き河瀬を見るがさやけさ」(万葉集)など。
  • 室町時代に入ると係り結びの法則が崩壊してきて、連体形が終止形を浸食しはじめる。(現代語の用言の終止形はすべて連体形と同じになっている。)そうなると、「が+連体形」は「が+終止形」とますます区別しがたくなってくる。こうして格助詞としての「が」の用法が確立する。
  • 「水が飲みたい」などの一見動作の対象を表すように見える用法は、希望を表す助動詞「たい」(「たし」)が形容詞と同じ活用をすることから、「飲みたい」という複合形容詞の連用形に対して「が」を用いることになったものである。「平家の由来が聞きたいとて」(ロドリゲス大文典)など。

と、いうことのようです。「……ない」も付けると形容詞活用になりますね。用例を探すのサボりますけど。でもほんとは用例を出すのは大切ですよ。その話もいつか書きたいな。

それで「林檎が売っている」を考えるわけですが、じつは先週は「売っている」と「売ってる」をあんまり区別してなかったんですよね。なんとなく「林檎が売ってる」のほうにはあんまり違和感を感じない。なぜか、を説明したい。しかし現代語の文法の本はぜんぜん読んでないし、これ以上は黙ってることにしよ。だれか考えてください。いま適当に思いついたのは、「売ってる」は一文節になっているのに対し、「売っている」は「売って」+「いる」という二文節のように考えられるので、「が」のかかる部分が「売る」と「いる」とに違ってくるから、とか。でも自信ないな。用例の裏打ちもないし。

古文の助詞の勘所(がつかめない話)

「助詞がいまいちぴんとこない」と書いておいて、どこがぴんとこないかを書いてなかった。

たとえば枕草子にある、藤原隆家が立派な扇の骨を手に入れて定子に自慢する、一〇二段。「もうだれもぜったい見たことないような骨なのよ」と得意気な隆家に、清少納言が「さてはくらげの骨でございましょう」と言ったという有名な話ですが、ここで隆家は最初になんと言うか。

中納言殿まゐり給ひて、御扇たてまつらせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。

この「隆家こそいみじき骨は得て侍れ」の「骨」というところ。ちゃんとした現代語訳は見てないんですが、これは現代語だと「隆家はすばらしい(扇の)骨を得ましたぞ」というような意味のはずです。その現代語の感覚だと、ここで「骨は」となってるのがよくわからない。「骨を」ならわかるけど。あるいは「隆家(は)いみじき骨(を)こそ得て侍れ」にでもなるんじゃないかという気がする。この答えはまだよくわからない。

あ。いま書きながら思いつきましたが、これ、定子に扇をプレゼントした時に言ってるんですよね。それで定子が「すてきな扇をどうもありがとう」とかなんとか言ったと(書いてないけど)。それで「いやいや、扇、この自分の方こそいいものを手に入れたんですよ」と言った、と、そういうことか? そういう文脈でそういう言葉なら、「隆家は〜」とか「〜骨を(こそ)〜」とかじゃだめで、原文にあるような言い方をするしかない。そういうことなのか。ははは、書いてたらわかってしまったぞ。(でもまだそれでいいのか自信はない。)

追記 などと浮かれてたら、さっそく別解を思いついた。あとでここに追記する予定。

夕飯食べ終わったので追記。→

もうひとつの可能性。「こそ」+已然形の係り結びは、平安時代だと単純な強調と見ておけばいい場合が多いのですが、その起源となった逆説の接続として使われていると考えたほうがいい場合もけっこうあります。その可能性を考えてみます。「この隆家、すばらしい骨得たのだけれども、紙を張って差し上げようとすると並大抵のを張るわけにはいかないから、探しているのです」と訳す。つまり「骨手に入れたんですが、まだ差し上げられません」ということで「は」が使われているという考え。このほうが最初の説よりも「それを張らせて参らせむとするに」の部分とのつながりがよい(「参らす」が「差し上げる」の意味でよければ)。

うーん、どうでしょう。書いてない文脈を頭で補ったりしてないという点では、前の説よりもいいのかも。どっちなのか決められないあたりが知識不足を露呈してますな。

この説の難点は、この話についてそういうふうに(逆接として)訳すような言いっぷりを自分はいままで見たことも聞いたこともない、ということです。やー、珍説を言ってしまった? それに、そういう意味なら「隆家いみじき骨こそは〜」となっているべきなんじゃないかという気もする。こういうところで直感がびびっと働かないのが「外国人だ」ってことですよ。

しかし、このどちらの説もとんだ見当違いで、なおかつ「隆家こそいみじき骨は得て侍れ」はただ「隆家はすばらしい骨を手に入れました」という文の単純な強調にすぎず、「骨は」の「は」は不思議でもなんでもないというのであれば、それは自分にとっては現代語の「は」からその用法を推測できる範囲を逸脱しているし、それについての解説なり用例なりをきちんとした形で示してもらえない限りは納得できない。この段は高校の教材なんかでも使われてると思うけど、そこではどう説明されているんだろう。

でもまずちゃんとした現代語訳を見てみないとなんとも言えないか。そういうわけでこの件は保留。こんど見てこよう。

←追記ここまで。

さらに追記。

「隆家 扇」でググるといくつか興味深いことを書いているページがありますね。あんまりウェブには頼りたくないんですが。

さらに追記ここまで。

まあこのへんがいまの自分の古文力の限界ということです。古文力というか、読解力の問題か。しかし最初から現代語訳を見ている人はここまで考え込んだりはしまい。

ほかにもこういうぴんとこない助詞がいっぱいあるんです、という話をするはずだったんですが、たんによく読めてないだけなのかもしれない気がしてきた。がんばろう。

補足を書いただけでもうこんな分量になってしまった……。

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