2003-07-21

承前[2003-07-20] の続き)

It’s not a matter of love

community
1 (利害・宗教・国籍・文化などを共有する)共同社会, 共同体, コミュニティー; 地域社会 .

「コミュニティ」という語を辞書どおりの意味で使うのなら、WZの掲示板で情報交換する人々を指してそう呼ぶとことはできるでしょう。少なくとも特定のソフトウェアのユーザーであるという共通項があるし、掲示板で発言している以上は他のユーザーとなんらかの形でコンタクトを取っているわけだし、明日WZが使えなくなったら(程度の差こそあれ)困るという意味では価値観や利害を共有しているといえるので。そういうことも踏まえて、20日の文章では単に「コミュニティ」と裸のまんまで使うのは避けてます。

それでなんなのか、というと、だからといってそれがすなわち倫理観まで共有しているとか、VC擁護に心血を注いでいるとか、みんながみんな自分の発言する掲示板をその手に掌握することを志向しているとか、「テキストファイル最高!」とかいう信念にとりつかれている集団ということにはならないし、事実そうはなってはいないんじゃなかろうかということです。

で、なんでわざわざそんなことを言うかというと、それは(別にコミュニティの存在を認めたくないからではなくて)、何回か掲示板で発言を繰り返しているという事実だけで、秘密結社の会員であるかのようにいわれるのは個人的な感情として不愉快だから。「コミュニティ」とか「取り巻き」とか書けば一見無難なように思えるかもしれませんが、書いてしまえばそこに特定の誰かが含まれることになるのは避けられないわけで、仮想敵を導入すると論の展開に便利だからということで自分がそこに放り込まれかねないとあれば「ちょっと待てよ」と言いたくもなるのです。曖昧な定義に基づいてなんとなく誰だかに言及しているというのは、誰についても言及していないのと同じではないのです(同じならそもそも言及しようとは思わないはずだし)。

隠しAPI(TX-C)

「隠しAPI」っていう呼び方はちょっと誤解を招きやすい表現だと思います。これらは別にWZのバイナリの奥深くに埋め込まれているというわけではなくて、_wz.hというヘッダファイルにきちんと関数宣言が書かれているのです。APIヘルプ(API.TML)には解説がありませんが、C言語がわかる人が_wz.hを読めば、すぐに使えるようなものがほとんどです(細かい解説がないので多少の想像力は必要ですが)。ドキュメント化されてない(Undocumented)APIとでも呼んだほうがいいのかもしれません。

だから僕としては別にそれらを無保証のデンジャーAPIだとは思ってないし、ちょくちょく仕様が変わるようであればそれはそれで問題だと思ってますけども、まあそれはまた別のお話。

100行<1行

VCのWZ関連掲示板でコミュニティのあり方とか、ソフトウェアのサポート形態であるとか、テキストエディタにまつわる思想的な意見を述べたような発言についてコメントが付きにくいというのは、(コミュニティについて前回書いたように)あまりそういうことに関心が高い人がいないんじゃないかというのもあると思いますが、もうひとつの理由として、そういう発言があまり効果を発揮しないと考えている人が多いのではないかとも僕は思うんですよね(あくまで個人的な予測ですけど)。

というのは、βテストなんかで何回か発言して、要望が取り入れられたり取り入れられなかったりして一喜一憂していると、どのような投稿がWZのコードに影響を与えやすいのかがわかってくる(少なくともわかったような気になる)んです。で、そうしたいわば「よい報告のコツ」として僕が感じたことのひとつが「可能な限り具体的に」ということでした。つまり、どんなによい意見でも、抽象的ではT_Y_さんにどうしてほしいのかは伝わらないということです。

理想のテキストエディタがどうとか、売れるソフトウェアがどうとか、そうしたことについて考えて語るのは楽しいので(笑)、僕もついついそういう方向に走ってしまいがちなのですが、βテストでは、100行演説するよりも、「○○すると××が落ちます」と1行書いたほうが確実にソフトはブラッシュアップされていくんですよね。発言する側としては、前者のほうがエキサイティングで楽だし、後者は地味で面倒ではありますが。

けっきょくみんな、そんなような結論をそれぞれ出していたりするから、というのもあるんじゃないでしょうか。

長大で感動的な演説をすると、空が暗くなってVCやT_Y_さんに稲妻のごとき天啓が下り、(それまでナニモノかに取り憑かれていたらしい)見米さんの目は光を取り戻して、以降VCのサポートは劇的に改善しT_Y_さんがあらゆるソフトウェアを一切バグを含まずに一瞬で書く能力を身につけ、WZ5はその次の日に完璧な形で出荷されたそうな、とか、そうなるわけでもないでしょう。

ほとんど自戒を込めて書いてますが、実際のところ、概念的な「立派な意見」はいくらでも書けるものだったりします。現実を引きずっていないから。WZを一から書き直すとかいうなら話は別ですが。そして、そんなことはわかりきったうえで書いているんだという人がいたとしたら、僕はその人が前述の「天啓効果」を一瞬でも本気で信じてしまったんじゃないかとしか思えないのです。