2009-12-10

しかしフランスの人が全銀フォーマットに何の用があるんだろ? 謎だ。

なんか知らないけどタスクが山積み。これが師走か。プログラム書いたり古文読んだりストIV対戦したりしたいよー。

蕎麦屋の思い出

南阿佐ヶ谷と荻窪の間、青梅街道沿いにある(あった)とある蕎麦屋。11月いっぱいで閉店するというので、29日のお昼に食べ納めということで行ってきた。

ここはせいろがおいしいので、お重のご飯ものとセットの定食(合わせ)を頼むことが多い。合わせの親子を注文。

食べ終わってお代を払うときにお店の人とちょっと話した。「長い間お世話になりました」と先に向こうから言われてびっくりした(なぜかいつもすぐお店の人に覚えられる僕)。マンションが建つということで、立ち退きの期限が来てしまったそうだ。あとで見れば隣の八百屋もシャッターが下りていた。

終わってしまうのは残念だとか、図書館からの帰りによく寄ってたとか、蕎麦屋がどんどん無くなっていって寂しい、といったことを伝える。蕎麦屋は広い厨房が必要なので店を借りてやるのは難しい、などという話を聞く。ごちそうさまを言って去り際、店のおばさんが「また機会があったらどこかで…」と言ったのだが、これはどういう意味なんだろ。またどこかでお店をやる気があるのかな。(あるいは、僕が落ちてくる岩に潰されそうになったときに颯爽と助けにきてくれるその伏線かなにかだろうか。)

阿佐ヶ谷周辺にはおいしい蕎麦屋がいくつもあったのだが、数年ごとにぽつぽつと無くなってゆく。阿佐谷北の「庵」は広島に移ってしまった。そばもうまかったけど、ここがお昼に出してた親子丼、この親子丼は僕が今まで生きてきて食べた中でもっともうまい親子丼であった(いまでもこれを超える親子丼はない)。パールセンター(商店街)には「巴屋」という店がかつてあり、ここはにしんそばがうまかった。しかしあるときから長い休みに入ってしまい、そのまま閉店。いまはクリーニング屋になってしまった。そしてまたこんどの一件。

これに僕は、自分の生活圏が侵されているような感覚を覚える。僕が居心地いいと思う場所は世の中から排斥される運命なのだろうか。

あと新宿西口の某鰻屋も閉店だとさ。なんか寂しいな。

あー、あとなにかプログラミングのことか何かで書くことあったような。まあいいや、ひとまず。