2008-06-05

池田亀鑑氏は1956年に亡くなっているので、彼の執筆・校訂した著作物(いま自分が読んでいる岩波文庫版『枕草子』など)はいまやパブリックドメインに属してるんですね。

さて先週の助詞の話、分量が多くなるからと削ったせいで肝心のところが抜けてしまったかもしれないので補足。もうみんな読み飛ばしてるだろうけどさ。

格助詞「が」の話の補足

まず、格助詞「が」の用法の経緯について。本の引き写しを知ったふうに書くのも恥ずかしいかと思い書かなかったのですが、例だけじゃ不親切だった。詳しくは大野晋『係り結びの研究』の最終章か岩波古語辞典の「基本助詞解説」を読んでください。「基本助詞解説」での説明を要約すると、

  • 「が」はもともと連体助詞だった。現代語の「の」のようなもの。つまり体言と体言を結びつける。「君が代」「雁が音」など(万葉集)。
  • 「我が思ふ妹」(万葉集)というような表現もある。ここでは「が」は名詞「妹」にかかっているのだが、「思ふ」の動作主であるようにも見える。ここに後になって主格を表す助詞としての用法の生じる余地がある。
  • また、用言(動詞・形容詞)の連用形・連体形は「……すること・もの」を表す(現代語でも「走り」「人殺し」といって走行する行為や殺人を犯す者を表すように)ので、文中では体言の資格を持つ。「君が歩くに」「清き河瀬を見るがさやけさ」(万葉集)など。
  • 室町時代に入ると係り結びの法則が崩壊してきて、連体形が終止形を浸食しはじめる。(現代語の用言の終止形はすべて連体形と同じになっている。)そうなると、「が+連体形」は「が+終止形」とますます区別しがたくなってくる。こうして格助詞としての「が」の用法が確立する。
  • 「水が飲みたい」などの一見動作の対象を表すように見える用法は、希望を表す助動詞「たい」(「たし」)が形容詞と同じ活用をすることから、「飲みたい」という複合形容詞の連用形に対して「が」を用いることになったものである。「平家の由来が聞きたいとて」(ロドリゲス大文典)など。

と、いうことのようです。「……ない」も付けると形容詞活用になりますね。用例を探すのサボりますけど。でもほんとは用例を出すのは大切ですよ。その話もいつか書きたいな。

それで「林檎が売っている」を考えるわけですが、じつは先週は「売っている」と「売ってる」をあんまり区別してなかったんですよね。なんとなく「林檎が売ってる」のほうにはあんまり違和感を感じない。なぜか、を説明したい。しかし現代語の文法の本はぜんぜん読んでないし、これ以上は黙ってることにしよ。だれか考えてください。いま適当に思いついたのは、「売ってる」は一文節になっているのに対し、「売っている」は「売って」+「いる」という二文節のように考えられるので、「が」のかかる部分が「売る」と「いる」とに違ってくるから、とか。でも自信ないな。用例の裏打ちもないし。

古文の助詞の勘所(がつかめない話)

「助詞がいまいちぴんとこない」と書いておいて、どこがぴんとこないかを書いてなかった。

たとえば枕草子にある、藤原隆家が立派な扇の骨を手に入れて定子に自慢する、一〇二段。「もうだれもぜったい見たことないような骨なのよ」と得意気な隆家に、清少納言が「さてはくらげの骨でございましょう」と言ったという有名な話ですが、ここで隆家は最初になんと言うか。

中納言殿まゐり給ひて、御扇たてまつらせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。

この「隆家こそいみじき骨は得て侍れ」の「骨」というところ。ちゃんとした現代語訳は見てないんですが、これは現代語だと「隆家はすばらしい(扇の)骨を得ましたぞ」というような意味のはずです。その現代語の感覚だと、ここで「骨は」となってるのがよくわからない。「骨を」ならわかるけど。あるいは「隆家(は)いみじき骨(を)こそ得て侍れ」にでもなるんじゃないかという気がする。この答えはまだよくわからない。

あ。いま書きながら思いつきましたが、これ、定子に扇をプレゼントした時に言ってるんですよね。それで定子が「すてきな扇をどうもありがとう」とかなんとか言ったと(書いてないけど)。それで「いやいや、扇、この自分の方こそいいものを手に入れたんですよ」と言った、と、そういうことか? そういう文脈でそういう言葉なら、「隆家は〜」とか「〜骨を(こそ)〜」とかじゃだめで、原文にあるような言い方をするしかない。そういうことなのか。ははは、書いてたらわかってしまったぞ。(でもまだそれでいいのか自信はない。)

追記 などと浮かれてたら、さっそく別解を思いついた。あとでここに追記する予定。

夕飯食べ終わったので追記。→

もうひとつの可能性。「こそ」+已然形の係り結びは、平安時代だと単純な強調と見ておけばいい場合が多いのですが、その起源となった逆説の接続として使われていると考えたほうがいい場合もけっこうあります。その可能性を考えてみます。「この隆家、すばらしい骨得たのだけれども、紙を張って差し上げようとすると並大抵のを張るわけにはいかないから、探しているのです」と訳す。つまり「骨手に入れたんですが、まだ差し上げられません」ということで「は」が使われているという考え。このほうが最初の説よりも「それを張らせて参らせむとするに」の部分とのつながりがよい(「参らす」が「差し上げる」の意味でよければ)。

うーん、どうでしょう。書いてない文脈を頭で補ったりしてないという点では、前の説よりもいいのかも。どっちなのか決められないあたりが知識不足を露呈してますな。

この説の難点は、この話についてそういうふうに(逆接として)訳すような言いっぷりを自分はいままで見たことも聞いたこともない、ということです。やー、珍説を言ってしまった? それに、そういう意味なら「隆家いみじき骨こそは〜」となっているべきなんじゃないかという気もする。こういうところで直感がびびっと働かないのが「外国人だ」ってことですよ。

しかし、このどちらの説もとんだ見当違いで、なおかつ「隆家こそいみじき骨は得て侍れ」はただ「隆家はすばらしい骨を手に入れました」という文の単純な強調にすぎず、「骨は」の「は」は不思議でもなんでもないというのであれば、それは自分にとっては現代語の「は」からその用法を推測できる範囲を逸脱しているし、それについての解説なり用例なりをきちんとした形で示してもらえない限りは納得できない。この段は高校の教材なんかでも使われてると思うけど、そこではどう説明されているんだろう。

でもまずちゃんとした現代語訳を見てみないとなんとも言えないか。そういうわけでこの件は保留。こんど見てこよう。

←追記ここまで。

さらに追記。

「隆家 扇」でググるといくつか興味深いことを書いているページがありますね。あんまりウェブには頼りたくないんですが。

さらに追記ここまで。

まあこのへんがいまの自分の古文力の限界ということです。古文力というか、読解力の問題か。しかし最初から現代語訳を見ている人はここまで考え込んだりはしまい。

ほかにもこういうぴんとこない助詞がいっぱいあるんです、という話をするはずだったんですが、たんによく読めてないだけなのかもしれない気がしてきた。がんばろう。

補足を書いただけでもうこんな分量になってしまった……。

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