2006-04-30

先週の続き)

といっても、べつにWZ関連のコンテンツの公開をやめてみたりするつもりはないですよ。公開しちゃったものは簡単には引き上げないようにしようというポリシー(←政策)で。なんでか?

理由その一はまず一般的なもの。

ウェブになにかコンテンツを出したことがある人ならわかってもらえると思うのですが、あれって公開した直後から「直したい」「引っ込めたい」という欲求との絶え間ない葛藤が始まります(よね)。少なくとも自分はそうなんですが、たぶん無駄に気位が高いとか、完璧主義だったりする人ほどそうなんではないでしょうか。

オンラインソフトウェアの作者さんなんかでも、ときどき「3日間の限定公開です」とかやってみたりする方を見ますが、そういう人なんかはここでいってるタイプに当てはまるような気がします。あとこれには「小出しにして流通をコントロールすることで作者としての全能感をより味わいたい」という自己顕示欲も絡んでいるのかもしれません(金銭欲的な理由でそうする人はさっさとシェアウェアにしちゃうでしょうし)。

僕は自分で(一時的であれサイトをたたむというのを)一回やっちゃったくらいなのでその気持ちはよくわかるのですが、そういう人たちにあっては、ウェブサイトもある種の潔癖さで貫かれていることが多く、そしてなにか思うところがあると撤収してしまいそうな危うさを放っています(トップページ以外へのリンクからの来訪をJavaScriptで監視してたりとか)。

ほんとのこというと、僕はいまここに置いてあるマクロもスクリプトも各ページのHTMLもみんな手直ししたくてしたくてたまらないし(コードも幼稚だしバグだらけですもの)、翻訳とかも恥ずかしくて恥ずかしくて引っ込めたいとか考えてばかりです。(これは性格によるところだと思うので、ほかの人はそこまでではないでしょうけど。)

でも、ソフトウェアが公開されている雰囲気がそんなだと、いつ夜逃げされるかわからないという警戒感が働いてしまって、使わないでおこうと自分なら判断してしまう。そういうようなところからくる自制によるのがまずひとつ。

僕は自分の潔癖症ぎみなところを克服したいし、数は少ないけど公開したものを使われている方もいるわけですしね。

で、それに関係して、もうひとつが(これもときどき見かける、)意思表示としての公開停止の効能について思うところから。

これって、たいていの場合なんにも悪くない人が不便な思いするだけですよね。これが威力を持つのは、その人が公開していたコンテンツに批判対象が直接的に依存しているなんていうケースくらいなんじゃないでしょうか(ライブラリを提供していたとか)。そうでない場合は、まあ当人がそのことに憤っているということの表現にはなるかもしれませんけど、あとはたんに残念だとか面倒な思いをする人が増えるだけなんじゃないかという気がするのです(これは意思表示というニュアンスはなかったのかもしれませんけど、たとえばもうN.Yamamotoさんのsafefileは公開されてないので、まだそれをありがたく使わせてもらってる僕としては、慎重になっておかないと手元から失われる可能性がある、「どうせウェブにあるだろ」と油断できない)。たとえるならデモ行進みたいなもので、派手さはあるけど効果としては投票所で黙って一票入れたほうが大きい、みたいな。

公開していたものを封印するというのは、なんとなく格好いいんじゃないかと思ってしまいがちなのですが(この気持ちもよくわかる、自分がそうだから(笑))、結局は相手に「察してもらう」のを期待しているという意味では甘いんじゃないか(自己満足的なのではないか)という気がします。あるいは「公開したものを引っ込めたい」という欲求が頭の中で体のいい理由を見つけ出して自分を駆り立ててるだけかもしれないし……。

そういう話でいくと、掲示板を閉鎖してこれまでのことはなかったことにして再出発っ、なんてのは潔癖症の悪い癖が出た最たる一例というようにも見えますけどね。